平凡な日常

 晴れてはいると思うが、まだ夜中なので判らないと言った方が良い。外気温は、マイナス1.6度。


 実は、朝起きてから新聞、テレビ、ネットに接続しておらず寝る直前から今まで世界がどのように変化しているか知らない。

 端末を起動しネットに接続してこの記事を書いているのだが、取りあえず自分の周りの世界はあまり大きな変化を遂げていないようだ。

 実際、電気は点き、ネットもこのように正常に繋がり、メールも受信できる。これがきわめて正常な日常の始まりというものなのだろう。

 もし、目覚めて灯りをともそうとしてもそれが点かず、ネットにもつながらない日常がやってきたらそれは驚きである。何時もと変わらない日常があるからこそこのように平然としていられるのである。

 

 実は、その平凡な日常が来ることが前提で暮らしているため、大きな変化が来たとき人はそれを受け入れられないため思考停止してしまう。今現在起こっている現実を受け入れられることができないためである。

 その思考停止の時間を短くするには、やはりそういった非日常の場数を経験していることが重要である。まさしく訓練である。

 そんな経験を何度もしている人生もどうかと思うし、出来ることならそういった経験をせずに人生を終えたいものだが、年齢を重ねれば重ねる程、経験の大小はあるが少なからずそういった経験はしているはずである。4年前の東日本大震災は、そういった非日常の経験をもたらした災害だった筈である。

 平凡な日常に感謝することは余りないが、この世に目覚めることを感謝するべきなのだろう。