国立競技場

 晴れ、気温は15度。

 気温が低い日が続き、体調を崩す人が増えたかもしれない。それ程気温の変動は激しい7月である。


 国立競技場の問題、日本の中にある土台が崩れ始めている感じがする。

引用 毎日新聞http://mainichi.jp/select/news/20150710k0000m040073000c.html

総工費が2520億円に膨らみ、批判が高まっている2020年東京五輪パラリンピックの主会場となる新国立競技場の建設計画で、下村博文文部科学相は9日、参院文教科学委員会で再考を求める意見に対して「大胆な見直しをすると間に合わない」と述べ、現行案を推し進める考えを改めて強調した。

  

 世界への公約だから変更できない。こういうのは簡単である。見直しをすればオリンピックに間に合わない恐れがあるので二の足を踏む。そしてその頃自分は、既に大臣の座に無い。他の関係者も同様に今の地位を続けているとは想像できない。更にオリンピックが終わった後の事など生きているか判らないことを考えることもできない。

 今の人間に未来に生きる人のためにどうしたらよいかという視点に立った決定は不可能である。今までもこの先も変わらないだろう。


 日本が太平洋戦争を引き起こしたのも、その当時の人間に未来の日本を想像して考えていないからである。結果的に世界に名だたる国にまで復興したが、もし戦争という出来事が無かったならどのような国になっていただろう。

 人間の思考は、大脳が行う。どんなに優れた人でもその思考回路には限界がある。人一人の人間がこの先の事を全て理解し、思考することは困難である。

 

 その限界を知る人間は、決断ができない。決断ができるのは、後の事を思考するのを止めた人間である。

 

 誰もが結末が決められたストーリー通り運ぶことが100%であることはないと色々な人生の過程から知っている。どこかに破綻はあるが、大凡、決められた通り進行すれば良しとする許容範囲が存在する。その範囲を逸脱してしまえばそれは失敗である。

 我々が学ばなければならないのは、必ず失敗は付き物であるという事である。決断する時間が無いなりに何とか結論を導き出そうとする。そこに未来的な考えは及ばない。その場を何とか繕えればそれで良いと思う。火中の栗を拾う勇気を持つ人間はいない。

 そういう意味で、日本の決定力を持つ人間の多くは、失敗を恐れ決断を引き伸ばし、その失敗を繕おとして更に傷口を広げる。失敗は成功のための糧である。そこから正しい結論を導き出すことは可能である。

 今回の件一説には、ラグビーWカップを国立競技場で行うためのタイムリミットが近づいているからという話がある。W杯が日本で行われるのは2019年である。決勝は当然新しくできた国立競技場で行う手はずになっている。

 

・新国立競技場では開幕戦、および決勝戦を行うことが決定しています。

(公財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会 会長 御手洗冨士夫

(公財)日本ラグビーフットボール協会 会長(公財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会 副会長 森喜朗



彼にとって人生最後の花道のために是非とも新しい競技場という舞台が必要なのだろう。