報道問題

 晴れ、気温はマイナス2度。

 すっかり景色は春になり、厚い冬物のコートを着て外に出るのも憚れるようになった。しかし、朝晩は景色ほど暖かくなく、やはりまだ寒さは体に堪える。

 世間の話題は、すっかり中学生のことになっているようで、犯人の私生活は明らかになっているが、週刊誌ならまだしも一般紙がそこまで根掘り葉掘り書く必要も無いのではとと思わせる。それならば、野球賭博の件をもう少しきちんと報道しないといけないだろうと思う。

 誰かが書いていたが、高校野球プロ野球にほとんどの新聞社がかかわっているためお互いさまの意味合いがあり、追及の手が緩いのだというが本当にそれだと思う。

 本来書くべきことに手を止めて書かず、話題そらしの意味合いもあって必要のないことまで記事にする。新聞社が公器というならそれを証明しろと言いたいのだが、そんな言葉など彼らには届きはしない。彼らもまた社会の中で飯を食うために働くために大人の事情を捨てることはできないということなのだろう。

 お隣の中国で問題となっている以下の話題についてもそうである。

引用 産経新聞http://www.sankei.com/world/news/160321/wor1603210030-n1.html

北京と香港を中心に活動するジャーナリスト、賈葭氏(35)ら中国人メディア関係者5人が3月中旬以降、相次いで失踪したことが注目を集めている。今月初め、インターネットで出回った習近平国家主席の辞任を求める公開書簡への関与が疑われ、中国の治安当局に連行された可能性がある。昨年末には香港の書店関係者5人が失踪したばかりで、北京や香港の知識人の間で不安が広がっている。

 この件、もう少し詳しく報じて中国の人権問題と報道の自由問題で鋭く切り付けてほしいのだが、いかんせん日本のメディアは、中国からの圧力あるいは懐柔があるのかしらないが、問題にしてこない。朝日新聞ははなから追及する気はなさそうで批判しているのか批判していないのかわからない記事を書いている。あくまでも中国国内の問題としているのだろう。

 しかし、遠い未来に中国の支配下に置かれたとき真っ先に言論統制の下に置かれるのは新聞社だろうと思う。報道の自由を捨ててまで新聞社として生き残る選択を選ぶのなら日頃の聖人君子面した報道をやめるべきだろう。

 もし、それを受け入れないのならこの問題に対して中国を怒らせるくらいの報道が必要である。その覚悟もなく、政治家のスキャンダルを報道して日頃の憂さを晴らしているようでは、報道の自由も地に落ちたものである。

 明らかに可笑しいのは、報道の自由を強調し読者に自分たちは正義の味方のように振る舞いながらも、何らかの権力の影響を受けながら記事にしている現状である。今回のプロ野球やジャーニーズの件に関しても、国民の目には報道の偏向が明らかに気づかされているにもかかわらず、そんなことはないというような振る舞いを見せていることだろう。

 権力に屈しない、スポンサーの影響に屈しない真の報道機関が現れることはないのだろうか。