日本代表に見る世代交代

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 昨日の日本代表の試合は、見ていて面白い試合だった。得点が中々入らない前半も相手のオウンゴールで幸先良く先制したので、シュートミスを何度もやらかしても楽しめるものだった。あれが0-0だったら結構来ていたかもしれない。

 後半、日本のパスミスを拾われ相手にカウンターを受けた時などハラハラのしどうしで、全くもってあんな無警戒なことを代表選手が起こすことが信じられないと思ったりもした。それでも香川の2点目からお互いしのぎを削りあい、後半の最後に怒涛の3点を取ったところなどは、終わりよければ全て良しというところだった。

 当然あのゲーム運びは、多く人が非難をするだろう。特にセルジオさんなどは、予選は危ないとでも書くことだろう。まあそれでも、一次予選の最終戦はハルリホジッチ監督も得点が多く入る試合を臨んであれだけ攻撃的な布陣にしたのだと思う。さらに勘ぐれば、世代交代へ向けてのベテランへのはなむけの試合だったように感じた。なぜなら先発の多くがブラジルW杯の出場選手だからである。

 ロシアW杯頃には、昨日の試合で先発した多くの選手が30歳を超える。後2年の間に若手に追い抜かれてしまう選手も出てくるだろう。そんなことを感じてしまった。

 若さが全てではないが、この先長く続く日本代表の歴史を途絶えることなく続けるには、やはり体力が衰えていく世代を残すのではなく、若い体力のある世代にうまく引継ぎを行っていかなければならないからである。

 それは、日本社会の構造にも言える。高高齢化社会に向かう日本において、まだまだ年寄りが幅を利かせている。それは良い点もあるだろうが、年寄りは今まで経験した経験則で物事を考えてしまうため先進的な取り組みに対して拒否反応を起こしがちである。それは、思い切った改革を妨げる原因になりがちである。

 日本という社会全体を考えるならバランスの良い、世代間の責任分担と程よい世代間の交わりがどうしても必要となる。年寄りの経験則と若者の革新性こそが活気のある社会を作っていくはずである。

 日本企業に若さが足りないのは、その次の長い100年のスパンを考える人間が足りないのだと思う。この先30年も現役でいられないような人間がかじ取りをする企業が増えたせいでもある。

 世代を超えて生きるには、年齢に関係なくパワーが必要である。