バタフライエフェクト(映画)

 快晴、気温は11度。今日は久しぶりに夏日になりそうな陽気である。

 今日寝覚める前に夢を見ていた。その内容を書くのは憚れるが、相当怒っていた。その理由は、若い頃の出来事が原因だったらしい。最近そういった過去のことを理由にした夢を見ることが多くなっている。これも年をとったからなのかもしれない。


 過去の出来事をやり直したらどんな人生が待っているかと思うことは誰もが経験したことだろう。そのやり直すことができないからこそ一度きりの人生を過ごしている証である。どんなに後悔してもその人生をやり直すことはできず今の境遇から抜け出すことができたはずと誰しもが思う。そんな思いを映画にしたのが「バタフライエフェクト」である。

 冒頭、「小さな蝶の羽ばたきが地球の裏側で台風を引き起こしているかもしれない」という言葉が出て映画は始まる。どんな小さな羽ばたきでもそれが増幅されれば台風が引き起こされるという事象は、考えてみると正しくは無い。確かに風が吹けば桶屋が儲かるという日本の話と同じで最初に引き起こされた事象のために次々と連鎖が起こり大きな結果を生むという理論は同じである。

 しかし、何かが起きる原因は複雑である。蝶の小さな羽ばたきが最初の波紋だとして果たして台風と結びつく事象となりうるだろうか、台風が引き起こされるためには、様々な条件が重なって起きるもので、もしどれか一つでもかけていたら台風が引き起こされないかというとそうではない。余りにも条件が多すぎる。


 ここからネタバレになるので、まだ見ていない人は読まない方が良い。


 この映画の最大のポイントは、主人公が自分が書いた日記の記載を読むことで過去を変えられる能力を持っているということである。実際は、過去の映像でも元に戻ることができるのだが、この辺りの筋書きは結末ありきの脚本のためである。その辺り、もし映像で過去に戻れるのなら日記という小道具は必要が無い。記憶を鮮明にあるいは間違った記憶で過去に戻ることができないという論理がそこにあったため実際に起きた証明が必要なのだろう。

 そしてその能力は父親から受け継いだのだが、なぜか父親は精神病院と思われる施設に収容されている。主人公と同じ能力を備えているのだからお互い過去を改変する能力があるのなら過去を改変し合う形になる。それが不可能なように父親を別世界に閉じ込めておく必要があったのだろう。

 しかし、それもこの映画を作るための本筋を外さないための仕掛けでもある。それにしても主人公を含め父親も過去を改変していたのだから実際の世界を変えすぎということになる。それはバタフライエフェクトどころの騒ぎではない。もしかするとあの映画くらいの出来事で済むはずはなく人類が滅亡するくらいのことが起きている可能性もある。

 また、主人公が少年の頃の出来事をやり直して改変しようとした瞬間の青年の時間に戻るのだから本来なら改変した後からの人生の記憶も持っていなければならないはずなのに青年はそれまでの記憶を知らない。精神のみが受け継がれてしまいあたかも入れ替わってしまったような表現となっている。そうするとパラレルワールドの様相を呈するがそうでもないようだ。後半では、やり直した人生のフラッシュバックが映像として表現されているのでそうでもないようだし、最後、彼女とすれ違ったときに一回目ならすぐに彼女と分かっていたはずなのに既に彼女ということを知らない。改変された人生を主人公が行ったことまでも忘れてしまっている。

 また、結末の人生を歩いてきたのなら、青年は過去を変えてきた能力も全て失っていることになる。そうするとその人生を何度も変えてきた青年の存在が不要ということになる。行ってしまうと論理的に破たんしているということである。


 論理的に考えれば考えるほど矛盾に満ちたストーリーであるが見ているときはその論理の破たんを感じずに済むスピードで話は展開するので、見ている間は、次に何が展開されるのか興味を持続させることができる。

 しかし、見終わった後、ストーリーの展開がご都合主義ということに気付く映画でもある。それがエンターテインメントといえばそうなのだろう。