生き様

 曇り、気温は14度。今にも雨が降りそうである。

 人生に節目があるとしたら、20歳から10年毎に訪れるように感じる。20歳は、大人の入り口で50歳は老いへの入り口であり、60歳は老人への入り口である。

 人生の寿命が60歳の時代は、その時期に差し掛かると老いとともに人生の終わりを悟り始める時である。なぜなら半数以上の人がその時点で人生を終えていたからである。

 そして、人間の平均寿命が80歳になり、多くの人が80歳の時を迎えるようになると60歳で人生のピークを迎えて人生を終える人が大半だった時代と比較して、年寄りが色々なことに口を出す社会が当たり前のようになってしまった。

 

 人間の寿命が延びるということは、社会にとって良い面と悪い面が存在することになる。その一つが、組織の頭が年老いて保守的になることである。40代であれば果敢に挑戦できたことが、60代では二の足を踏む。更に悪い事に経営を任された60代の上に先代が居座り影響力を及ぼそうとする。

 すべてに年寄りが邪魔だというわけではないが、組織から生きの良さというものを確実に奪っていることは確実である。自分たちの世代なら冒険をしても止める世代が居なく好き勝手していたはずなのに、自分たちがいざその境地に達すると若者にブレーキを掛けようとする。なまじ偉いばかりに下の世代の社長と呼ばれる人間も上を見てへいこらする。更に、そういった組織になると若い世代が前に出る機会が減るため大人として成長する機会を与えられなくなる。

 そういった弊害が今の日本の社会に目立っている。例えば、大塚家具、スズキ自動車、東京電力…年寄りが相も変わらず睨みを利かせている日本の会社の多いこと。年寄りは、それが正しい方向性だと勝手に考えているが、実はそうでもないことの方が多い。

 

 年を取るにつれて頭は固くなり、更に悪いことにある程度の権力を与えられるため権力の魅力に負けてその地位にしがみ付こうとする。自分が口を出せば人が従い、ちやほやされることに慣れてしまいその座から降りようとしなくなる。本来、60歳が人生のピークならその時点で潔くその場を去るのが男の美学だと思うが、そういった考えを持つ人間の少なさを嘆くばかりである。

 果たして自分がその立場になればどうなるかというある意味踏み絵を突き付けられているような感じである。自分が醜い大人を非難すると同様、その代わりを自分が勤めることになるのかどうか、人生の生き様を下に見せていくかが問われるのだろう。