舛添氏辞職

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 昨日は、舛添氏が辞任したためその話題一色になった。本人も自分の話題をそらす大事件が起きないかと漏らしていたそうだが、その話題を吹き飛ばすような大事件だとしたら、東京でテロ事件が起きるか大地震が関東で起きるかしかない。人が不幸になることを望むような人はやはりリーダーとしては失格だろう。

 大衆は、得てして口の立つ人間を誤ってリーダーにしてしまうことが多い。甘い言葉で如何にも自分の意見を代弁してくれ不満のはけ口を巧みに作り出してくれる人間である。本当に信頼できる人も中にはいるかもしれないが誠実な人ほど寡黙である。なぜなら自分の言葉に責任をとる必要があるからである。

 人は甘い言葉をたやすく信じ込む。それは甘いが故に更に人を引き寄せる。そうしてその言葉に酔わされた時に、自分たちが抜け出せない蟻地獄に落ちている気付く。中には危険な落とし穴に落ちていることも知らずに踊らされ続ける。

 自分はそういった危険には近付かないと自信を持っていても知らずに近付いていく時もある。それは、偶然の場合もある。自分は理性がありそういったものに近付いても冷静に判断できると思っていても引きづりこまれることは多々あるわけである。

 

 熱いものほど疑うことが必要で、選挙などはその最たるものである。候補者の熱気や周囲の熱気に充てられ自分もその候補者と一体になると勘違いする。候補者もそうなることを望んでいるからそういう方法を積極的にとる。当然、甘い言葉を口にするし実現不可能なことを平気で口にする。それが実現しなくとも他の人の責任にすればよいからである。

 今年の夏は参議院選挙がある。すべての人が参議院選挙に興味があるわけでもない。一部の人がそれに興味を示して活動しているだけであるが、その一部の人の意志で物事は決まってしまうのが選挙の怖さでもある。いくら棄権したり白票を投じてもその人たちの意志は選挙には反映されない。反映されるのは選挙というお祭りに踊らされる人たちの数である。人を選ぶというのは本当に難しいものである。