出家

 雪、気温はマイナス2度。

 世間では「幸福の科学」が脚光を浴びている。個人の信仰にとやかく言うことは無いが、芸能界のしがらみと相まって何やらきな臭い世界を見せられているような感じにさせられる。

 方や、生きている人の霊が乗り移るという科学という名がついているにも関わらず非科学的な宗教と、脚光を浴びるのは一握りの層であり、それ以外の層は奴隷的な扱いを受ける芸能界。似たもの同士の争いに見えなくもない。

 日本では信教の自由が認められており、宗教団体と認められれば無税である。だから色々な胡散臭い宗教が生まれてくる。共通しているのは、宗祖が突然神がかることである。そして超能力と分類される能力を持つ。

 しかし、この超能力と呼ばれるものは実在しない。実在しないものをあると宣うのは詐欺以外の何物でもない。その言葉に騙されてお布施を渡し入信することは傍から見れば信じられない行為だが、愛は盲目である。

 新興宗教にかかわらず宗教というのは、現世で如何に許しを請うかの活動である。死んで許しをこうても地獄で聞き入れられることは無いという恐怖から生きている間に罪を許して貰おうとする。そういった考えは、国籍を問わず人間に備わった本能のようなものである。

 多くの人が現世において許しを請おおとしている訳でその受け皿が宗教ということになる。その許しを得るために教祖から何らかの儀式を受け、金がある人は献金する。誠に都合の良い集金システムである。何故なら許される罪は、自分だけの罪である、その罪により被害を受けたものは何ら救済を受けないものだからである。あくまでもその許される範囲は、その宗教の枠内の出来事である。

 今の日本は、高齢化社会を迎えるにあたり先が見えない世の中になっている。その中で多くの日本人は自分だけが利益を得るために必死に活動をしているように見える。

 そういった不安定な社会(これはいつの世でも同じなのかもしれない)において宗教は心の隙間を埋めるに丁度良い補修用材なのである。ひび割れたところに塗り込めば当分隙間風は防げるし、一見劣化が進まないように感じるが、所詮間に合わせであるのでいつかはボロが出る。そんなものである。

 救済されたと洗脳されればそれはそれで幸せに生きていけるのかもしれないが、それにより被害を受ける人は当然出てくる。なぜ人は簡単に許しを請うのか、その許しは自分の全財産を投げうたなければならないものなのか?その辺りは、もし宗教に入信したら自問自答すべきだと思う。