今日の朝日新聞社説に思うこと

 曇り、気温は9度。流石に零下まではいかなかったが夜中は寒かった。西の空には大きな雨雲が浮かんでいるので後小一時間もしたら雨が降りそうである。

 今日も朝日新聞のことを書くことにする。題材は朝日新聞の今日の社説である。朝日新聞は徐々にデジタル化し記事も有料というようになってきており、全ての記事を読めるわけではなくなってきたが、社説は無料で読むことが出来る。皆さんにも是非読むことをお勧めする。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/DA3S13156471.html?iref=comtop_shasetsu_01)全文はリンク先で

言論の府から言論が消えた。悪(あ)しき例が歴史に刻まれた。

冒頭から勇ましい言葉で始まる。まさに執筆者のどうだと言わんばかりの名調子である。少し時代がかっているので万人が好むわけではない。

何故、言論が消えたかという理由は、

首相の所信表明演説も代表質問や予算委員会もなく、北朝鮮に非難の意思を示すはずだった国会決議も見送られた。

かららしいが、ついこの間までモリカケ問題と呼び朝日新聞が焚きつけ臨時国会まで開いて論議をしていたではないかとふと思うのだが、臨時国会は国会の範疇に入らないらしい。更にその間並行してでも話し合われるべきだった北朝鮮問題は何も討議されず、新聞はミサイル発射の事実だけを述べるにとどまり、国会でその議論をするように促してこなかったではないかとすごく思うのだが。

その臨時国会の開催についてもこう断じる。

そもそも臨時国会は、野党の憲法53条に基づく召集要求を、3カ月余も放置した末にようやく開いたものだ。なのに議論を一切しないまま解散する。憲法を踏みにじり、主権者である国民に背を向ける行為だ。

ここに書かれている「議論を一切しないまま」という言葉は何の議論なのだろうか?もう少し詳細に書いてもらわないと意味が通じない。

議論とはモリカケ問題?あるいは北朝鮮への非難?それとも本会議を開いて国会質疑をすることだろうか?省略しすぎである。きっと本会議での議論なのだろう。

そのあと、安倍首相と自民党小池都知事、前原党首についての非難の言葉が続く。それは、思い続けてきた民進党に裏切られた片思いの男の泣き言である。

 旧民主党政権の挫折から5年たっても、失われた国民の信頼を取り戻せない。そんな民進党の焦りも理解できなくもない。

 それでも民進党には、もう一つの道があったはずだ。

 ここ数年、地道に積み上げてきた野党共闘をさらに進め、共産党を含む他の野党との候補者調整を実現し、そこに新党も加えて、自公と1対1の対決構図をつくり上げる――。 だが前原代表はその道を模索する努力をせず、小池人気にすがる道を選んだ。

 何故、民進党は小池新党と手を組んでしまうのか、共産党との野党共闘の方が増しだろうと思いが通じない片思いの相手につづられる恋文は切ない。そして民進党よ戻ってこいという気持ちが痛いほど伝わってくる。

 そして、片思いの相手を取られた恋敵に対してこう訴える。

小池新党が、そして民進党から新党に移る議員たちが「安倍政治」にNOを突きつけるというなら、新党は政治をどう変えるのか、理念・政策や党運営のやり方も含め、明確な形で国民に示す必要がある。

 自分の片思いの相手を奪うのならせめて私の言うことに耳を貸してということなのだろう。

 今回の社説は、最初の勢いは勇ましかったが徐々に泣き言を繰り返すダメ男の愚痴になってしまっている。これでは天下国家を論じる朝日新聞の社説に相応しくないと思う。

 ここまで書くのなら、ぜひ朝日新聞社が政党を作り国民に信頼される公約を掲げて選挙を戦ってほしいと切に願いたくなる。自分たちが望む日本国民全員が幸せになるという理念のもと上記の主張を貫いてほしいものである。朝日ならできる。