オウム

 晴れ、気温はマイナス11度。今日は大寒、お天気ニュースで言っていなければ知らなかった。確かに昨日より冷え込んで吐く息でメガネのレンズが曇るほど。

 この日記を書こうとするとはてなダイアリーだけが不調のようでなかなか立ち上がらなかった。何か障害が発生していたようだ。

 

引用 時事通信https://www.jiji.com/jc/article?k=2018011901125&g=soc) 

一連のオウム事件の裁判が全て終結することを受け、法務省は教団の代表だった松本智津夫死刑囚(62)ら元幹部13人の死刑執行について、本格的に検討を始めるもようだ。再審請求中の元幹部も多いが、法務省は請求中は執行を控えるこれまでの「慣例」にとらわれない姿勢を見せている。

刑事訴訟法は、判決確定の日から6カ月以内の執行を定めているが、公判に証人として出廷する可能性があるため、法務省は共犯者の刑が確定するまでは執行しない運用をしている。最後となった元信者高橋克也被告(59)の判決が近く確定することで、執行のハードルは事実上なくなった。

 既に裁判が終わり、死刑判決が出ていた松本智津夫が刑務所暮らしをしているのも、全ての起訴された被告の裁判が終わっていなかったためである。以前は、松本死刑囚が死刑が執行された際、オウムの残党が事件を起こすのではないかと言われていたが、今現在の状況ではそういった事は起きないだろう。

 オウム真理教サティアンと呼ばれる活動拠点が富士山のふもとの上九一色村にあったが、そこで松本死刑囚が逮捕されたのが1995年5月のことで、既に33年の月日が経とうとしている。(その当時の記録を時事通信社が公開している

 オウム真理教は教祖である松本死刑囚が逮捕されるまで様々な事件を引き起こしてきた。その始まりは、坂本弁護士一家殺害事件だった。

 当時、坂本弁護士オウム真理教に関わる脱退者の支援を行っていた。その当時TBSが放送取りやめになったインタビュービデオを教団幹部に見せたことから事件が引き起こされた可能性が高かったが、TBSはその事実を報道せず隠蔽し教団の犯行を結果的に助けた結果になった。たらればだが、この事件でオウム真理教が疑われ捜査の手が入り教団そのものが監視対象になっていたら地下鉄サリン事件は起こらなかったかもしれない。

 こうした大事件は、得てしてこういった傾向があるのは承知だが、報道という名のもと自分たちの行為がどういった結果をもたらすか当時のマスコミ(もしかすると現在も)は、知らないというよりも確信犯的にマッチポンプで話題を作り出そうとしていた。

 坂本弁護士一家殺害事件が、1989年11月である。この時から教団は、自分たちの存在を脅かされる危機感から社会に対して反撃を企てようとし徐々に過激な行動に走るようになる。いうなればここからオウム真理教は国家を敵に回そうとし始めた。

 その発想は幼稚である。あの程度の集団で国を変えることはできない。彼らの行動は行き当たりばったりで何の計算もない。そういった集団が自ら毒ガス兵器を作り、テロ事件を起こすまでの経緯は傍から見れば漫画の世界だが、当事者の信者たちは考える能力を失っていたとしか思えない。その点は、松本死刑囚の集団を操る力という能力は持ち合わせていた。

 オウム真理教は、既に解散し今は無い。しかし、その信者たちの残りがまた宗教団体を作り活動している。そこに加わる人は確実に存在する。もしかするとあの当時の行動を正当化している輩も存在するかもしれない。

 今の世の中は決して平等ではない。今の環境に満足していないものが大勢いるのは間違いない。自分はこのような身分にいることは理不尽だと考えるものはその不満をどこかに吐き出そうとしている。だから、日本のどこかで不満を爆発させる事件が時たま起こるのだろう。

 今後、同様の事件が起きるかおしれない。それは、時代が生むひずみのようなもので、かすかなひずみが何かの切っ掛けで大きな割れ目を作りそこに吹き寄せられるように問題が起こる。それは、覚悟しなければならない。