契約社員と正社員

 雲の多い晴れ、気温は13度。今日は真夏日だという天気予報の言葉を聞いて思わず半袖で外に飛び出したらやはり風は冷たく上着がいた。暑いのはお昼ごろ。

 午前5時ころと6時ころに花火の音が聞こえてきた。今日は色々なところで運動会が開かれる。運動家日和で何よりである。

引用 朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASL50443XL50UTIL01K.html) 

浜松市の物流会社「ハマキョウレックス」の契約社員が、同じ仕事をしている正社員と待遇に差があるのは、労働契約法が禁じる「不合理な格差」にあたると訴えた訴訟の判決が1日、最高裁第二小法廷であった。山本庸幸裁判長は、正社員に支給されている無事故手当や通勤手当などを契約社員に支給しないのは不合理だと判断し、会社側が支払うよう命じた二審判決を支持した。最高裁がこの争点について判断を示したのは初めて。

 契約社員の身分による給与の差別を認めないということ。この流れは、労働契約の見直しと共に正社員の位置づけを今後変えていくという今の社会の流れを表している。

 永年日本は、終身雇用という形で社員の身分が保証されていた時代が長く続いた。それが高度経済成長と共に欧米流の労働者が会社と契約を結ぶ契約社員という制度が採り入れら、徐々に終身その会社に忠誠を誓うという制度は崩壊してきた。

 その契約社員制度も本当に優秀な一部の人間を除いて、只のパート職員という扱いで便利に使われ、業務のスペシャリストというような当初の形態と違う使われ方をされてきたわけである。

 ほんの一部の世渡りの上手い人間にとって使い勝手の良い制度だったが、それ以外の者にとっては雇用の不安定さを生み出す元凶となったわけである。

 この先にある社会にとって契約社員が主流となるのならこの本来貰うべき働きによる対価は正社員と平等であるべきなのだろう。それが無いため働きに対して差が付く原因を排除することが必要になった。

 しかし、正社員として会社に忠誠を誓ってきたものは、この先何時契約社員となり身分保障がされない時代に対応していく必要がある。

 正社員だからと言って何時までも身分が保証される時代でもない。日本国内で堅調だった大資本が解体を余儀なくされ、多くの社員がリストラされる時代になり、その中で自分たちが抱えている問題を先送りしているうちに足元ではどんどん労働環境が変化して行く時代でもある。我々が安定していると信じていた土台は既に流砂のように変化している。

 間違いなく今後の日本の会社員と呼ばれる人たちはもれなく契約社員となるだろう。国も流動性を求めている。それは、やはりリストラという習慣を無くしたいということである。

 リストラは無くなるが雇用契約の延期は無くなるという見栄えの良い形に置き換わるだけといって良い。更にそういいた契約延長が無くなった労働者を受け入れさせるためにも終身雇用という習慣を無くすことが大切だと感じている訳である。