ヤマユリ事件に思う

 曇り、気温は17度。肌寒い感じ。本州は猛暑というけれど北海道にいるとそんな感じは受けない。暑いのが嫌なら北海道に移住したらよいのにと思うくらいである。

引用 朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASL795DFVL79ULOB00N.html) 

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者など46人が殺傷された事件から26日で2年になるのを前に、殺人などの罪で起訴された元職員・植松聖(さとし)被告(28)の手記などをまとめた本「開けられたパンドラの箱」が出版された。発行した創(つくる)出版(東京都)は「事件の風化が急速に進んでいる。植松被告の主張をどう否定するか、社会が問われている」と出版の理由を説明している。

 障がい者大量殺人事件が起きたのは、2016年であった。その裁判が今行われている。遅すぎるという気がするが、色々な手続き上の手間が掛かったのだろう。

 この犯人の主張は、まさしく優生思想に他ならない。しかし、人間の優劣を決めるのは犯人ではない。外見がどんなに立派だろうとどんなにお金を持っていようとも人間の優劣は外面だけでは判らない。その心にある暗闇を全てあからさまにする人間はいない。その点で言えば人間に優劣は存在しない。それは断言できる。

 障がい者を受け入れる社会を日本は持っている。LGBTにしても差別をしない社会を目指している途中である。人間の外見や内面からの差別をなくそうと社会は動いている。受け入れる社会があればそういった公正さが求められ、差別というものを無くすことが大切なことになる。

 犯人の彼は、今生きている処がそういった差別のない世界をルールとしようとしている社会に生きていることを気付いていなかったのである。言論の自由が許され色々な意見を持つ人が共存する社会において、その社会を作り上げるコミュニティの暗黙の合意を知らなかったのである。

 彼が生きるべきところは弱肉強食で生存の術が全て自己責任の環境だったのだろう。もしそういった世界があるなら彼はそこの住人になるべきだったのである。

 

 ある規律がありその規律に沿って共同社会が成り立っているのなら、そこに住む住民はルールを逸脱すれば罰せられることになる。それは覚悟しなければならない。