サウジアラビア人記者暗殺事件

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引用 共同通信https://news.yahoo.co.jp/pickup/6303501) 

サウジアラビアの検察当局は15日、トルコ・イスタンブール総領事館でサウジ人記者ジャマル・カショギ氏が殺害された事件を巡り、実行犯とみられる容疑者ら11人を起訴したと発表した。うち犯行を指示した5被告には死刑を求刑する。事実上の最高権力者ムハンマド・ビン・サルマン皇太子ら王室上層部の関与は否定し、殺害を命じたのは現場に派遣されたチームの指揮官だと結論付けた。

 恐ろしい事件である。日本がこれほどまでに危険でないことに安どする。

 そしてサウジアラビア王国は、権力者が守られる国であることが良くわかった。そしてこれが世界では当たり前のように受け止められてしまう。世界の国はサウジアラビアに敵対しているのでなければそのパワーバランスの上で干渉しない、我関せずの事件ということになる。

 そもそもこの殺害されたサウジアラビア人の記者は、何故、皇太子に命を狙われることになったか。それがあまりハッキリとして書かれていない。

引用 Wikipedia

 2003年5月22日付紙面にイブン・タイミーヤを揶揄する記事を掲載したが宗教保守層の怒りを買い、カショギはサウジアラビア情報省によってこの「事件」の責任を取らされる形で解雇され…

2007年4月からアル=ワタン紙の二度目の編集長として勤務し始めたが、2010年3月に再び辞職した。アル=ワタン紙は辞職理由を「個人的な事業に専念するため」と発表したが、王制の厳格なイスラム法に批判的な記事が原因で強制的に辞職させられたとする報道もある。

 おおよそその理由は、国内体制批判(あまりにも簡単な理由付けになる)ということになる。

 《日本人は、日本がこれ程自由に物事が発言できることを実感するべきだろう》

 人間は、人と知り合いになればなるほど、あるいは有名になればなるほど、何らかの事件の種をまくことになる。その種が良い悪いは別である。自分がどんな善い行いをしても、妬みや嫉妬で反感を買う。悪事はそれ自体が反感を買うので説明は不要だが、自分が幾ら正当な行動を取ろうとも思想、信条の違いにより相受け入れられないことがある。

 サウジアラビアの皇太子が、この記者を暗殺グループまで組織して殺すほど憎かったのかその理由は分からない。この事件で当の皇太子は、次の国王の目がなくなったとされるが、果たしてどうなるのであろう。