香港の自由を守ることは自分たちの自由を守ることに通じる

 晴れ、気温は20度.今日も雨が降る可能性があるのだが暑い一日になりそうである.梅雨前線がかなり上まで押し上げられ暖かい空気の塊が北海道の近くまで押し寄せている関係である.7月なので既に夏が来ないとおかしいくらいなので、気温の上昇は当たり前のことである.

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 コロナ禍が無ければ中国の強硬姿勢に対して国際社会はもっと強い対応が取れただろうか?

 自由社会が消え去ろうとしているのに自由主義国家は、相手の自由を尊重してしまうということだろうか?

 世界には多くの自由主義国家があるけれど、同時に独裁国家社会主義国家がまだ存在する.そういった国を強制的に自由主義国家にすることはできない.もしできるなら必ず戦争とういう悲劇を生む確率が高い.そうなると多くの犠牲者が生まれるのは目に見えているが、そういった国があることで多くの人が国内で犠牲になるのも事実である.

 世界には色々な考えを持つ人が存在する.自由主義国家の日本国内でさえ、革命を目指そうとしている勢力も存在するし、自分達の宗教が支配する国を作ろうと考えている勢力も存在する.ある意味、思想や行動は自由という名のもとに守られる権利がある.それを制限すると自由主義という一番大事な原則が崩れ、なし崩し的に自由主義という独裁国家が出来てしまうからである.

 自由主義を破壊しようと考える勢力に対して自由を認めることは自由主義国家の最大のジレンマである.その仕組みを維持するために法律を作り国家のためにある程度の自由を制限することで体制を守ることも自由主義国家では認められている.

 だから自由と独裁は紙一重で有り、自分達の考える自由に従わせるために自由を制限することが独裁につながっていくのである.

 今の中国は、自分達の考える社会を作るために自由を制限することを良しとしている.それ以前に共産党主義という一党独裁で国の安定を図ろうとしている部分では、国の成り立ちからして国民という概念は存在しなく国家という体制を維持することが国の使命になっている.

 国民は、人ではあるけれど国家という大きな形を維持するための部品のようなものである.部品は部品であるため不良品が混じっていればそれを取り除き新しい部品に入れ替えることができる.当然不良品はごみ箱行きとなる.不要だからである.

 今回の香港の自由を制限する試みに対して何故これ程自由主義国家は無力なのか、それは自由主義の原則が他への干渉を制限することだからである.相手の自由を認めること、思想信条を認めることが自分たちの自由を守ることだとするなら、国際社会でも思想信条が異なる国も受け入れなければならないということになるからである.

 中国が香港を自分たちと同じ仕組みに組み入れようとするなら、自分たちの独裁を否定するような不良品を受け入れることはない.必ず排除してから受け入れるはずである.その下準備のために不良品を予め選別することをしなければならない.そのために法律である.

 中国国内で反体制と言われる、まず法輪功が取り締まられ、更にチベット人が弾圧され、今ウイグル人が収容所に入れられている.次に、香港人がその収容所入りをさせられるのだろう.

 それを自由主義社会は、どう立ち向かえば良いのだろう.日本国内の人権派と呼ばれる人たちは、中国に対して大きな声で批判しない.人権は、国内の問題であって国外に対しては人権を主張しないという不文律があるようである.人権派という人たちの中に、日本を弱体化するためだけに行動する人たちが何割か混じっており、中国の影響力が強まれば自分たちの理想も叶うと信じているのかもしれない.

 今香港に対して日本人として何ができるのだろう.遠くから反対と叫んでも中国は何の心配もしないだろう.