マスクをしない自由

 晴れ、気温はマイナス2度.夜中に降り出した雪は10cm位積もっただろうか、これが根雪になることはないが、日陰に残った雪は一部解けないで残るかもしれない.今週末は相当気温が上がるので日向の雪は全て融けてしまうのだろう.

北海道で新たに166人の感染を確認 札幌市内では126人で複数のクラスターも発生(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース

 北海道のクラスターは徐々に増え続けている.以前までは札幌を中心としススキノの飲食店が大元だったが、GO to トラベルが始まった時期から2週間程度経て道内各地で発生し始めている.全てがGotoのせいではないが、コロナの影響を過小評価している向きもあるだろう.道民の気持ちがコロナウイルスに対して慎重に行動することを止めてしまったことが一番大きい原因だと思う.その頃から飲食店の人でも戻り始め、マスクをしないという人もちらほら見かけるようになってきてはいた.

 感染を抑えるには、やはり3密を避け、人と会話する場合でもマスクを外さないという心構えが重要である.感染症への対策としてはそれ以外にない.確かに長期間そういった制約が息苦しいというのもある.現に外国ではマスクをしない自由を主張する人も大勢居り権利を主張している.日本でも一部の人は、マスクを強制するのは可笑しいという人もいる.

 

 確かにマスクをしない自由もあるが、それによって他人への感染の危険性を増し、その人の生命を奪う可能性もある.ある意味他人の自由を奪うことになる.自分の自由を守るために他人を犠牲にしても良いという道理はない.その点を履き違えて自由を主張するある意味テロ首謀者に通じるものがある.

 

 色々な自由を維持するために私権が制限されることは、小学校、中学校で習ったと思うのだが、今の教師はそういったことは教えないのだろうか?あるいは、学ぶことを忘れ、自分の都合の良い自由という自己満足の主張が許されると解釈しているのだろう.

 その自己満足の自由だとしてもそれを制止しようとすると軋轢を生む.それが社会的なコンセンサスなのかその社会の物差しが基準となる.例えば、香港の中国化も今までの物差しで言えば大変な変化である.一方、共産主義国家の中国にしてみれば自由の基準が違うのだからその感じ方の違いは大きい.今まで自由に中国政府の批判が出来たのにある日を境にそれが反逆罪になる.そういった社会で暮らすことが中国の国民にとって普通だし、言論の自由を制限されるのは当たり前と考える人たちにとって異端である.

 

 マスク一つで自由を叫ぶ人たちの自由の範囲は、新型コロナウィルスに感染したくないと思う人たちに自分の自由を制限されたと感じるに違いない.マスク一つでも強制することができない社会というのも不便なことではある.