見えない手

 曇り、深夜には雨が降っていたようだ。朝起きて路面が濡れているので気付いた。気温は、5,6度というところか、急速に気温は上がってきているのだが、日中殆ど建物の中にいるため昼間の陽気を知らない。モグラである。

 4月もあっという間に過ぎていく。まさに光陰矢のごとしである。アメリカが911を節目として変わったのと同様、311は日本が変わる日だった。

 それまでの日常が、あの前後で微妙に違っている。その違いは、災害に直接遭わなかった身には本当に微妙なことなのだが、それが意識の中にこびりついてしまったと言って良い。

 日本人の多くは、311を境に変えなければと思っただろう。しかし、変えようとする力も、この体制を変えたくないという大きな力で簡単には変えさせてくれない。

 本当に日本人の価値観を変えるなら、今までの既成の仕組みから、本当に大多数の国民が求めるものに変える必要がある。しかし、あの時国民全てが考えただろう気持ちは、色々な力が働き、元の鞘に納まろうとしている。

 人の心は移ろい易い。今まで体制というしがらみに組み込まれ、その枠組みから抜け出さないように教育された来た大多数の人間にとって、今まで居心地良いと感じさせ保護されてきた仕組みから放り出されることに脅威を感じる。

 だから体制のプロパガンダに易々とはまり、また飼いならされた仕組みの中に舞い戻ることになる。それは罪ではない。長年慣らされた精神構造はそれを簡単に変えさせてくれないからである。

 ここ一か月、日本の動きは本当に流動的だった。色々なものが変わりだすかに見えた。その仕組みを変えることの最大のチャンスだった。それが菅政権の最後のお仕事だったかもしれない。

 

 しかし、何かを変えようとする度、見えない力が働き、変えようとする力を押し戻そうとする。普段の平穏な時期なら何ら気にならない動きが、この危機的状況で垣間見えたかもしれない。

 

 その体制を変え無いという力は、決して組織だっているわけではない。何の連帯は無くても自然と昔の頃のシステムに戻ろうと空気のように動き回るのである。

 たとえば、一時期、東電が国有化されるという話が出たが、その動きはいつの間にか止まった。東電を国有化することで影響を受ける体制側の意向がそれを止めさせたとしか見えない。まさしく既得権益を守るためにである。

 そして、今回の人災と思われる事故もいつの間にか、その責任の所在は明らかにされず、社長の首が飛ぶ程度で終わりだろう。東電も一時は謹慎の身になるだろうが、電力村を守る力が、その没落を防いでくれるだろう。

 今までの日本社会の中で、あからさまに電力村の姿を垣間見せたのは、JOCの事故以来ではないだろうか。まさしく陰謀論だが、その陰謀を働く首謀者がいないところに特徴がある。まさしく非常に働く安全回路が人知れず動き出したため、誰が黒幕か判らないようにさせているのである。

 さて今後、原子力の問題は、また以前の思考停止の状態に戻ろうとしている。この先何らかの喧々囂々の議論が起こるだろうが、それも予定調和のように終わり、10年後の世界は、原発事故が無かったように動き出すのかもしれない。

 しかし、この事故は、日本を蘇るきっかけにしなければならないとしたら、電力村が持っていた権威と権力を地に落とすしかないだろう。その利権をまた誰かが奪い取ろうとする争いが起こるのは自明だが、そういった既成の権力構造をぐちゃぐちゃにしなければ、何も変わらないし、この先の日本を蘇らせる力を失うだろう。