右左

ネットを巡回すると、とんでもない説を唱えてらっしゃるページにぶつかる。

 俗に言う、ネットウヨ、サヨと呼ばれるものであるが、総じて目立つ発言をしていらっしゃる人たちはウヨが多いように感じる。

 これは世間でも同じなのだが、まじめな話や、説教じみた話は、反抗の対象になり反発こそが若者の特権と言う意味から、総じて国粋主義系の主張が受け入れられるのだと思う。

 その最たるものが、嫌韓と言うものだと思う。見下ろす相手が居れば、取りあえず安心していられると言う心理だろう。

 確かに、親、教師、TV等のマスコミを含め、正しい主張というのは平和主義である。
その中にいる人間が反発しようとすれば、まずその平和主義のような理想主義を攻撃したくなるのは道理である。

 また、平和主義者は、争いを好まないのであるし、話し合いで解決しようとするため、その大半は、声高な右翼的主張に対して反論はしない。或いは、反論したところでその主義主張が変える事は不可能である。
 何故ならネット上の主張は、対面での話しでもないし、生活空間を共有しているのではないのだから、お互い一方通行にしかならない。力で服従させようとも匿名が原則のネットの中では無意味である。

 そして、声高に何も思想的、歴史的に裏づけのない主義主張が語られていく。それに同調するように人が集まり、そして有名サイトになっていく。逆に言うと、極端ではなく、それ相応レベルのウヨ発言をする方が人を集める手っ取り早い方法なのかもしれない。

 自分は、どうか言われれば、戦後教育をしっかり受けてきたので、精神的には平和主義者である。しかし、保守的傾向は、年齢を重ねるほどに増してきたようである。以前なら、良い社会を作るためには、痛みを伴う改革は必要であると考えていたが、自分が痛みを伴う改革には、賛成に躊躇するようになってきている。

 戦後、60年以上月日が流れ、平和ボケした世代から生まれた今の若者が、自分達に戦争責任は関係ないと言い張るのも間違いではないとは思う。
 しかし、周りを考えない自己中心的な考えが、隣国をも巻き込んで殺し合いをしてきたと言う歴史を忘れないで欲しい。