昨日のつづき

 曇り、気温はマイナス3度。気象協会の発表する天気図を参考にしているのだが、予想天気図は大きく外れることは少ないのだが、少し異なることも多い。更にその少しの間隔が局地的には大きく異なるため、その大きく異なった地域では天気予報が外れることになる。今日の天気図も、概ね当たっているけれども少し低気圧の勢力がオホーツク海よりもさらに北寄りにずれている。それでも北海道は低気圧の影響を受けているため北寄りの風が主だが、きっと明日には南風が吹き込むようになるのだろうと思う。

 昨日上げた「教育勅語」の件、朝日新聞教育勅語に対する主張が社会面と社説に載っている。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/DA3S12834085.html

教育勅語肯定 稲田大臣の資質を問う」

 稲田防衛相に閣僚としての資質があるのか。重大な疑義を抱かざるを得ない発言である。

 稲田氏は8日の参院予算委員会で、戦前の教育勅語について次のように語った。

 「日本が道義国家を目指すというその精神は今も取り戻すべきだと考えている」

 「教育勅語の精神である道義国家を目指すべきであること、そして親孝行だとか友達を大切にするとか、そういう核の部分は今も大切なものとして維持をしているところだ」

 天皇を頂点とする国家をめざし、軍国主義教育の根拠となったのが教育勅語だ。明治天皇直々の言葉として発布され、国民は「臣民」とされた。

 親孝行をし、夫婦仲良く。そんな徳目が並ぶが、その核心は「万一危急の大事が起こったならば、大儀に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為(ため)につくせ」(戦前の文部省訳)という点にある。

 いざという時には天皇に命を捧げよ――。それこそが教育勅語の「核」にほかならない。

 稲田氏のいう「道義国家」が何なのかは分からない。ただ、教育勅語を「全体として」(稲田氏)肯定する発言は、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という憲法の理念と相いれない。

 教育勅語終戦後の1948年、衆院で排除の、参院で失効確認の決議がされた。衆院決議は勅語の理念は「明らかに基本的人権を損ない、且(か)つ国際信義に対して疑点を残す」とした。

 当時から、「いいことも書いてある」などとする擁護論もあった。これに対し、決議案の趣旨説明に立った議員は「勅語という枠の中にある以上、勅語そのものがもつ根本原理を、我々は認めることができない」と言い切っている。

 当時の文相も「教育勅語明治憲法を思想的背景としており、その基調において新憲法の精神に合致しないのは明らか」と本会議で答弁した。

 こうした議論を踏まえることなく、勅語を称揚する姿勢は閣僚にふさわしいとは思えない。

 まして稲田氏は自衛隊を指揮監督する立場の防衛相である。軍国主義の肯定につながる発言は国内外に疑念を招く。

 安倍政権では、教育勅語を擁護する発言が続く。2014年に当時の下村博文文科相は、勅語が示す徳目について「至極まっとう。今でも十分通用する」などと語った。

 こうした主張は政権全体のものなのか。安倍首相は明確な説明をすべきだ。

※この文章は朝日新聞の主張であるため一部引用だと誤解を招く恐れがあるため全文引用させていただいた。

 朝日新聞が問題とする点は、

1.教育勅語は、天皇制維持と軍国主義教育の根拠となった

2.教育勅語の核心は、「いざという時には天皇に命を捧げよ」である。

3.教育勅語は、現日本国憲法主権在民という基本理念と相いれない。

このほかに、教育勅語が戦後参議院で失効確認の決議がなされた等の歴史が述べられている。

 問題点はやはり「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」の文章なのだろうと思う。更に言えば国民を臣民と表しているところだろう。

 昨日も書いたが、この勅語が発せられたのが明治政府のときで、その時は日本は天皇を中心とする国家に戻ったばかりの時である。当然、こういった表現になるのは当然で、そこに臣民という言葉が使われているのも当然である。

 今の日本の基準で言い換えるとしたら民主主義国家においてとなるのだろう。その主語は言い換えるべきだと思う。この点は、昨日書いたところと変わりない。

 

 きっとある一定数の人にとってこの教育勅語は、戦前の亡霊であり、忌まわしい呪いの言葉に思えるのだろう。戦前戦中の日本を全否定したいために表に出してはならないパンドラに箱のような存在である。

 朝日新聞にも当時その戦争に加担したという思いがあり、この社説も戦争を引き起こさないために新聞社として果たさなければならない使命としての行動なのは理解できる。

 しかし、思うに戦前戦後の歴史を全否定し、何物も許さない立ち位置は、戦争直後の時代ならともかく戦後70年以上の時が流れているにも関わらずすべてを覆い隠すようなところも併せて如何なものかと思う。何時までも過去の亡霊に怯えそれを排除しようとすることは、これから生きる世代に何の好影響をもたらすことは無い。

 常日頃、臭いものにふたをし見ていないない振りをさせることを良しとすればするほど問題を解決する能力を国民から失わせることにつながる。今回も新聞記事内に教育勅語全文を載せることを避けている点は、おかしく見えてくる。自分の主張を知らせたいなら教育勅語が軍部に戦争の道具として利用された歴史をきちんと検証するべきだと思う。実際、国民の多くは既にその事実を知らないでいる。戦時中に教育勅語を否定しなかった自分たちの事実と共に国民に知らせ自分たちの主張が正しいことを証明すべきである。

 更に気になる部分は、マスコミ総じて北朝鮮の動向、ミサイル発射についての危険性を詳しく報じないことである。本当なら森友学園の問題を論じるよりも、もし北朝鮮がミサイルを撃ち込んできた場合、日本は反撃するのかという点を記事にすべきだと思う。実際問題、今回のミサイルは、日本の排他的経済水域に着弾している。もしここに日本の漁船が居て沈没していたなら日本はどのような対応をしたのか、すべきだったのか議論すべきだろう。

 あたかも北朝鮮のミサイルの被害が無いことを良いことに日本の主権が侵害されていることに目をつぶろうとしている。戦争を否定するあまり、日本の防衛体制の問題を論じないのもいかがなものかと思う。もし他国であれば臨戦態勢に突入することもあるだろう。