交通事故を無くすために

自分の環境は、職場が家の近くなので、毎日徒歩通勤している。或いは、早朝ランニングをしているために、どうしても車の横暴さが目に付いてしまう。
 
 休日や勤務外の時に車を運転するのだが、確かに車は鉄の塊であり、それに守られて運転している時は、丁度ガンダムに乗り込んでいる気持ちなのかもしれない。

 そのため、歩行者は、別の存在で、注意が行くのは、同じ鎧をまとった車となってしまう。更に自分の車よりでかい存在であるトラックなどは超弩級戦艦のように見えて思わず横にどいてしまうことになる。

 ここで面白いのは、道路でも階級があるのである。

人<自転車<バイク<軽自動車<普通車<ランクル等のSUV<小型トラック<大型トラック

これが道路社会の身分制度なのではないだろうか。

 例えば、横断歩道を渡ろうとしている人がいれば、道交法では、一時停止して人をわたらせることになっているが、これをしてくれるのはほんの一握りの運転手であり、最近などは一度も止まった所を見たことが無い。逆に渡ろうとする人を威嚇するようにスピードを上げていく時もある。

 では、本題の交通事故を減らすために何をすればよいのであろうか?第一の方法は、車を利用させる機会を減らすことである。車社会から脱皮する必要がある。

 荷物を運ぶのに全てトラックが必要であろうか?長距離は鉄道なりを使う方が経済的にも環境にも効果が高いのではないだろうか?近距離はトラックが必要だが、荷物を運んだ帰りは、荷台は空である。そこを有効利用する仕組みが必要である。
 それだけで、トラックの交通量は半減すると思われる。
 
 また、公共の交通機関の料金を値下げする必要がある。今の市内を走るバスなどは、通勤通学以外、空気を運んでいるようなことが多い。それを防ぐためにも、可能ならその時間帯は、運賃を半額程度にすればよい。そうすれば利用者も増えるだろう。空気を運ぶより効率的である。
 バスでの運行にもう一つ提案がある。それは路線の経路内であれば停留所以外にも止められたり人を乗せたりできるようにすることである。料金計算が面倒になるが、路線内の料金を一律にすれば良いのではないだろうか。利用客が多ければ採算ラインに達すると思う。

 交通量を減らせば、事故の起こる確率は当然下がるだろう。後は、運転者の問題となる。
 今の運転免許制度や道交法の問題点は、事故を起こした加害者に甘い所がある点である。昨今話題になる飲酒運転事故も、車で死亡させていなければ、立派な殺人犯である。福岡の事故などは、子供3人を殺しているのであるから、死刑もしくは無期懲役になってもおかしくない。しかし、車で人を殺した場合は、最高20年以下の懲役刑で済んでしまうのである。それも、飲酒をして、無謀運転、スピード違反を重ねての上である。自損事故で自分が死んでしまうのは勝手だが、他人を巻き込んで自分だけが助かってこの刑罰は誰しも納得がいかないのは道理である。

 やはり、こういった事故は、殺人事件と同じ刑罰でよいと思う。もし、被害者側に原因があり、情状酌量の余地があればその上で減刑すればよいことである。
 あともう一つが、このような重大事故を起こしたとしても、車の運転が可能であることである。免許取り消しになったとしても前歴がなければ2年間の猶予があれば再取得可能なのである。また、更に飲酒運転で事故を起こし、被害者を死亡させても、免許取り消しにならない場合もある。(これは酒酔い運転で25点これは一発免許取り消しであるが、酒気帯び運転では最大13点であるため、他の違反が加わったとしても最大25点にならない場合があるため)

 このような危険な運転をするもの(暴走族のような運転も含む)には、免許取り消しと共に何か社会奉仕活動を何年間しなければ免許の再取得を禁止するべきである。

 基本的に昨今の交通事故の悲惨さに対して、何故こんなに車の運転者に対してだけ世間が寛容なのか理解に苦しむ所である。 それは、日常交通違反を繰り返しているために、明日は我が身のため強くいえない部分があるのだと思う。

 犯罪を取締りをするべき警察官も日常的に飲酒運転をしているのには驚きで、それで余り飲酒運転に対してはうるさく言わないのではないかと勘ぐりたくもなる。
 それは、今の飲酒検問についていえる。もしこれが日常的に行われていれば、事故も減ると思うが、忘年会シーズンとかにしかそれも歓楽街の近くでしかやっているのを見た事は無い。普段危険なのは一般道での飲酒運転である。

 しかし、もうそろそろ考えを変える時期にきたのではないだろうか、自分が加害者になるのではなく、自分がもしくは身内或いは友人が被害者になる可能性があるのである。