毎日がカオス

空は昨日と同様、すりガラスから見たような空色である。風が冷たい。去年張り替えた庭の芝生も冬を越し、一部枯れてしまったところもある。それでも青々とした葉をあっという間に茂らせてしまった。

 
 昨日は、色々なことが日本で起こった日でもある。自分の日常は、常に毎日同じことの繰り返しと思いがちだが、今日が昨日と違うように少しずつ変化している。
 さらに昨日起こった出来事が多かれ少なかれ波のように日本全土を伝わってくる。途中で減衰してしまう波もあるが、その波がもとで起こった新たな波が姿を変えて伝わってくる。
 そして昨日と違った今日が来て、さらに今日とは違う明日がまたやってくるのだ。そして確実に年を取る。

 昨日起こった出来事でやはり印象に残った事件は、「光市母子殺害事件」の判決だろう。
 高裁の出した判決は、「死刑」であった。被害者の遺族からしてみれば妥当な判決だと思う。
 しかし、人を殺した人を裁くということは、ある意味裁く側が神の側に立つということである。一つ間違えば、私刑に近いことも起き得ると言うことである。

 私刑廃止論もあるが、今の量刑はバランスが悪い。死刑の次の刑罰が無期懲役で、それが10から20年もすれば仮釈放という流れになっている。この刑罰を、死刑、終身刑無期懲役という風にしなければ、死刑廃止は叶わないと思う。

 被害者の家族である本村さんが行っていた。「死刑が執行されない日本」という社会ができることが本当に望ましい。死刑の判決が下されなければ、死刑廃止と同じ意味を持つからである。

 この判決が、良い意味で日本に住む人たちの胸に届き自分に届くときはそれが良い方向の波であればと願う。

 そのほかに起きた事件は、殆どがお金がらみである。その影響は、良い意味では、金持ちに警鐘を鳴らすということだろう。お金には犯罪の影が付きまとう。
 悪い意味では、それを模倣する犯罪者が現れるということである。とはいっても模倣以前に既に人間に備わった本性が発露するというのが正しいのだろう。

 こういった事件が毎日生み出され予想もつかないカオスに似た現実を生み出し、人一人の人生など簡単に狂わす流れが自分たちの周りを、地を這う蛇のように蠢いているのだろう。
 それが見えれば良いのだが、普通の人間にはそれを見通す力が無い。さらにそれを見通す力を持ったものは地を這う蛇と同類であることは間違いない事実である。