宗教

 晴れ、空にはうろこ雲が浮かんでいる。昨日の天気は今頃にしては異常であった。夜中に降った雨の影響か蒸し暑く、気温も三〇度近くに成り、日陰でも暑さを凌ぐことが出来なかった。

 今日も昨日と同様暑い日になりそうだが、予報は曇から雨ということである。



 信じるものは救われるという言葉があるとおり、宗教は信仰から始まる。それは他人から見れば滑稽或いは奇異に思える状況でも信じるものにとっては別のものである。

 もしいくらか冷静な心があり、離れて自分を客観的に見ることができる人であれば、自分が信じているもののウサン臭さに気付くだろうが、得てして宗教にのめり込む人に限ってそういうことが出来ない人が多い。

 もしそういう人に自分が思っていることを話したとしても、何故かそれはその人の中で都合よく変換され、こちらを改宗させようとしたり、悪魔がやって来て自分の心を試そうとしていると思い込む。

 また宗教によっては、自分たちの信仰を守るため戦争も厭わない、死ぬことこそが自分を生まれ変わらせてくれると信じ、自己犠牲もその教えに従うことで聖者に成ることができると教えこまれる。

 そうなれば、既にその信者たちは、弾圧を受けることで却って先鋭化するわけである。周りが良かれと思ったことをしても、別な解釈を生み、より排他的に成り先鋭化するわけである。

 これは、宗教に限らず過激派と呼ばれる集団にも同様のことが言える。正しく人間のイデオロギーは、ぶつかり合うことで過激になり、お互いに会いてが地上から消滅するまで戦うことに成るのである。

 ではどこに解決方法が有るのだろうか?

 解決策などどこにもなく、ある程度の平衡状態を保つことしか出来ない。それは火事場の近くに火薬庫が存在するようなもので、如何にそれを爆発させないように間に緩衝地帯を築きあげるしか無いのである。

 そして間に存在する人間は、そういうものが有るのを知らずに暮らしていくのである。