辺境のナショナリズム

 晴れ、空は薄い水色に光っている。昨日夜中に降った雨で路面は濡れている。

 気温は低く今までの高温のためで一層寒さを感じる。

 秋物に切り替える心構えが無かったため慌ててタンスから秋物を引っ張り出したため、衣替えに準備を要する。

 

 北海道内に中国人の別荘が立ち始めている。以前はオーストラリアだったがそれも様変わりということだろう。

 更に密かに、私有林が中国資本の会社に買い取られたという話を聞き、この点も問題があるだろう。もし私有地という理由で立ち入りを拒まれたら行政は何が出来るだろうか?その点はきちんと対応を抑えておく必要がある。

 別に外国人の排斥をしたいというのではないが、人口百人の村人の内、30人を超えれば多いなと思い、50人を超えれば対立が起こり、更に人数が増えれば却って日本人が少数派に成る。そうして国の姿が変わっていくことに成る。

 

 貴重な日本文化を維持する為に或いは伝統を維持するということは、日本を母国をとする人間が過半数でなくてはいけない。

 この考えを偏狭なナショナリズムという解釈もある。ただ異文化が自分の周りに押し寄せてくる環境が決して住みやすい環境にはならない。

 

 ただし、その点で言えば日本が特異的な国だったとも言える。だから行政なども外国からの移民を前提としていないために混乱が生じる。

 他の諸外国は、異人種の交流を拒絶することは地理的に不可能だった。国と国との交戦から強制的に人種の交流を行わさせてきた。

 それは、伝統文化をそっくりそのまま他国に移す行為を繰り返してきた歴史があるわけで、その点で言えば以下に自分たちが生き残る、或いは生き残るために何をすべきかを考えてきた証である。

 EUなども以下に今の国と国との交流を妨げずに国としての形を固定する試みである。それは今の現状を戦争という形で壊さないために工夫したとも言える。

 翻って日本はどうだろう。島国という利点を生かし、外国からの侵入が防がれてきた。それが今の日本を作り、他国との関係も一種の宇宙人の形で交流してきた稀な国だと言えるだろう。

 それは、他国にはない状況で、日本のその特異的な姿を他の国が想像出来るかといえば、きっと日本人のその考えを理解してくれる人は居ないのではないかと思う。

 日本に住み暮らしていると、戦争等、遠くで起きた事は、映画か小説のようなもので心の痛みを覚えにくい。更に自分たちが当事者に成るなどと疑って掛かることはない。

 もし今回の事件が日本と中国の争いに成ったときに日本人はそれに耐える心構えが出来ているだろうか?

 今回の戦争を防ぐために平和的な話し合いができる方法を見出しているだろうか?きっとこれは、憲法9条を守る人達の試練の場であるかもしれない。

 

 もし、ここにアメリカという国がなければ、中国は軍艦をもって尖閣は言うに及ばず沖縄当たりまで占領したかもしれない。その時に、日本人はどうやって平和的解決を模索するのか、ここで態度を決める必要がある。

 何時までも平和的話し合いと解決と呪文を唱えても、実際に行動に移せなければ絵に描いた餅である。

 ここで領土を放棄すれば、あとは日本の主権を放棄したことに成る。この主権を平和的に維持する方法が必要なのだが、それが今の日本人に果たして出来るであろうか。