原発事故(書きかけ)

 晴れ、気温は低い。マイナス5度以下だろう。これで日中はプラスになり雪解けが進むが、寒暖の差が激しい日が続く。

 

 福島原発は、中々解決の糸口が見えぬまま一進一退を続けている。既に問題解決は、国の責任になっているのだが、その主体はやはり原発に今までかかわってきた技術者の力に頼るしかない。

 まだ解決前にこのようなことを書いてしまうのは、間違いかもしれないが、この原発事故から自分はこの問題に対して何を思うのか書いてみる。

 第一号の原子力発電所は、1963年にできた東海村の実験炉がはじめでの発電を行い、その後東海村原子力発電所を建設し、1965年原子力発電を開始した。それから46年が経ち、日本の原子力発電は曲がりなりにも安全運転を続けたことによって国民の信頼を受けたといっても良いだろう。

 その間、原発の事故隠し、東海村の日本原子力燃料での臨界事故が発生したくらいが原子力発電による大きな事故だった。それがある意味油断を生んだのだろう。

 安全に運転できるがゆえに、危機に対する対応力が不足する結果となり、コスト削減という大きな圧力が安全性を過小評価するということになった。それはまさしく油断である。

 また、日本に国の危機管理が叫ばれて危機管理を担う組織づくりが叫ばれたが何時しか立ち消えになった歴史がある。日本人は歴史的に見て、そういった危機的な状況に備えるといった意識が乏しいのかもしれない。それは日本人に限らず人間の弱点なのかもしれない。

 そういった意味で、日頃から危機管理を行い、日本中の組織にその意識を植え付ける努力をしている政府系の組織が無く、今回のような災害があった時に十分な政治的な危機管理能力を組織的に発揮できない体制であった。

 そういった意味で、今回の災害の前に、少なくとも阪神淡路の震災の時に考えていてもおかしくなかったし、その時にきちんとした組織づくりがなされているべきだった。

 さらに、今回の福島原発の事故は、少なくとも初動に国が加わる必要性があった。最初の報告では、この事故は軽微なもののような印象を与える情報しか出てこず、時間が経つにつれ重大事故の様相を呈してきた感がある。もし初動時に国が関与し強力な体制で事に当たることができていればもう少し被害を食い止めてい多のではないだろうか。

 一企業が国の命運を掛けた事故処理に当たることなど不可能だったし、あの時点の決定権が一企業のトップに委ねられ、その先の将来を考えて行動をとることは私企業の理念からは到底無理なことだっただろう。まさしくこれは人災的な要素が多く占めることになった。

 まずは、この事故を抑え込む事である。許容量を超えた廃水をどこかに移し替える必要がある。そのためにある程度の環境汚染は許容される範囲だろう。

 巨大なプールを作るなり、海水中に放流するのも最終的には決断する必要がある。この先何十年も人の住めない土地を作るよりも結果的には許されるだろう。しかし、そうだとしてもそれは最後の手段であり、それを防ぐ手立てを日本の総力を挙げて取り組む必要がある。