警察

 晴れ、朝霜で日陰に止めた車のフロントグラスが白くなっている。

引用 読売新聞(http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20121024-OYT8T01695.htm) 

吾妻署の林和夫署長(58)が今月20日夜、管内の高山村で民家の物置が全焼した現場に酔った状態で現れ、近隣住民にどなるなどした上、止めようとした部下の頭をたたくなどしたことがわかり、県警は24日、林署長を県警警務部付に異動させると発表した。発令は25日付で、林署長は一連の行為を認めているという。

 酔っていたと言え、こういった行動をとる人が自分の職場の上司だとしたら、この職場はどういった雰囲気だったのだろう。もし全ての警察署長がこうではないだろうが、何割かがこういった署長で、その部下の何割かがこの署長の行動を正しいと認識し、同じような行動をとっても許されると考えていたなら、と考えると、今の警察官の不祥事の多さの理由が理解できる。

 小さいころ、警察官は子供の憧れの職業であった。あの姿形を見て自分も大人になったらという男の子は多いだろう。また警察官を扱ったドラマの多くは、悪を憎み、正義感の溢れた役が多かったのだから、実際の警察官もそうだろうと頭の中に刷り込まれた人もこの世に多い。

 自分の警察官なら、そんな間違った事をするはずはないという思いが数年前まであったのだが、徐々にその呪縛が取れ、警察官も人の子だという思うようになった。警察官がすべて聖人君子では無く、ずるく卑怯で悪いことをする人間がいるという事である。

 しかし、良く考えれば、そういったずるく卑怯で悪いことをする人間を捕える役目を果たす側の人間が、全く同じ側の人間だったとしたら、どちらも信用できないことになる。

 警察官は、聖人君子であるべきという前提を翻す不祥事がこうまで続くと、世の中大丈夫かという思いになる。