自動車過失致死

 快晴、気温も朝方から比べると随分上がった。15,6度は有りそうである。

引用 北海道新聞http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/372693.html

【旭川】旭川市内で女子高生をひき逃げして死亡させた上、別の女性に対してつきまとい行為を繰り返したとして、自動車運転過失致死とストーカー規制法違反の罪などに問われた上川管内東神楽町、土木作業員岩倉智弘被告(36)の判決が16日、旭川地裁であった。佐伯恒治裁判官は懲役4年(求刑懲役5年)を言い渡した。

 これは道内での事故だが、自動車でひき逃げした場合、自動車運転過失致死となり、一般の殺人事件の刑より格段に刑罰は低くなる。
 もし、自動車を凶器の一つと考えるなら、間違いなく自動車によるひき逃げも殺人罪に問われる筈である。と素人的には考えてしまう。

 では、自動車による殺人は、他の物より刑が軽いのかと考えれば、遠い昔、まだ侍の時代、武士が乗る馬に庶民が跳ね飛ばされ死んだとしても侍の罪にはならなかった。さらに、大名行列が通過する場合、「下にー、下にー」のもと庶民がその前を横切ると無礼者と言われ問答無用に切り捨てられた。(この辺りの事実は、確かめたわけでは無いので確証ではない)

 そういう意味で自動車が走り始めた時代、自動車に乗る人間は特別の存在だった。そしてそのまま自動車社会は発展し、自動車が世の中の一つの歯車として機能するようになると、道路上では人間(歩行者)は、自動車以下の存在になってしまった。

 戦後の自動車社会では、あくまでも自動車を運転する人間が、歩道を歩いている人間よりも優先される。自動車が快適に走るために人間は歩道橋を使い遠回りを推奨され、人間が車道の近くを歩く際は、申し訳程度に引かれた白線の中を歩くように強制されたのである。

 そのなかで、自動車事故が起き続け人間が幾ら犠牲になろうとも、自動車の優位性は変わらず、遺族に保険金を渡すことで文句を言うのを黙らしてきたのである。

 しかし、そろそろそういった自動車が優位な社会は終わりにすべきだろう。自動車を運転する人間の我儘を歩行者が受け入れる必要は無い。更に自転車も、オートバイもその同罪である。道路は歩く人間のものにしなければならない。

 立派な道路が次々作られ、人間は何をするにも自動車なしでは生きられない生活をするようになってきた。しかし、それも終わりにするべきだ。
 それをするには、まずは歩道を車道と分離しなければならない。車幅が規定に達しない(車道と歩道を明確に分離できない幅の)道路は住宅街と言えども車の通行を禁止すべきである。

 そうでなければ、自動車による死亡事故は、運転者を厳罰に処するしか方法は無いだろう。