アスペルガー

 晴れ、朝の気温は2度、風が強いため本当に寒い。とても5月とは思えないが、仕方が無い。


引用 朝日新聞http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201304290366.html) 

日本でも広く使われている米精神医学会の診断の手引(DSM)が5月に改訂され、発達障害の一種「アスペルガー症候群(AS)」の分類が消える見通しだ。「適切な支援が受けられなくなる人が出る」などの不安が米国で出ており、日本の臨床現場への影響も出そうだ。

 この記事だけでは、理解できないとおもわれるので、以下の記事に詳しい解説が載っていたので引用する。記事自体は、去年の6月の記事であるので少し長く引用させてもらう。 

引用 熊本日日新聞社 医療QQ (http://qq.kumanichi.com/medical/2012/06/post-1971.php

 米精神医学会が定めた精神医学の世界的な診断基準「DSM」が19年ぶりに改訂され、第5版の「DSM-5」として来年5月に発行される。神経発達障害の分野では、自閉症アスペルガー障害などを包括的に「自閉症スペクトラム障害(ASD)」と新たに定義したのが大きな特徴。改訂の中心メンバー、キャサリン・ロード博士がこのほど、福岡市の九州大医学部で講演し、改訂の考え方を解説した。

(省略)

 自閉症は、現行基準では(1)対人的相互作用(社会性)の障害(2)コミュニケーションの障害(3)行動と興味の範囲が狭く限られる、の3領域について診断。日本では、知能指数(IQ)が70以上あれば高機能自閉症、知的障害と言葉の遅れがなければアスペルガー障害とされてきた。

 DSM-5の草案では、これまで自閉症アスペルガー障害、非定型広汎性発達障害(PDD-NOS、以下PDD)、小児崩壊性障害と分類されている診断名を、ASDに一本化、統合する考え。従来の三つの診断領域は「社会的コミュニケーション」「限定した興味と反復行動」の二つに絞った。

 ロード氏は現行基準について、「PDDの診断基準が非常にあいまいで、精神科的な問題のある子どもは、すべてPDDに入ってしまう」と指摘。さらに「アスペルガー障害と高機能自閉症をきちんと区別できる信頼性ある科学的根拠がない」という。

 サービスの利用しやすさも考慮したという。「米国ではアスペルガーやPDDなど診断名の違いで、州によっては、早期療育や教育を受ける機会があったり、なかったりする。新基準では、いずれもASDの中に含まれ、サービスを受けられないことはない」とした。

 米国とカナダの12大学がASDの子ども2700人余りを診断した結果も紹介。大学間で診断スコアの分布がほとんど変わらないものの、ある大学はほとんどがアスペルガー、別の大学は、半数以上がPDDと診断した。「だれが診断したかによって、診断名が異なった。これでは正しい診断ができない」と改訂の意義を語った。

 今回、アスペルガー症候群が消えてしまった理由として、アメリカの医療サービスによる影響が強いのかもしれない。

 今回分類から消えたのだが、それが消えてしまったのではない。非定型広汎性発達障害の一部となったということで、アスペルガー症候群が、色々な問題の中で便利に使われている部分に対しての反動だろうと思う。

 上に書かれているように、今までのアスペルガー症候群は、日本では知的障害の無い発達障害として分類されてきた。

 その中で世間では、普通に勉強もできるが一風変わった人、或いは、ある特定の分野で類まれな才能を発揮する人をアスペルガー症候群としてレッテル貼りに使用されてきた。

 しかし、その一風変わった人が誰でもアスペルガーでは無い。そうでない人もそうであるとしてしまうため話はややこしくなる。

 世間には、一風変わった人は、ゴロゴロいる。世間的に普通に暮らしていれば、それはあくまでも普通の人であり一風変わった人の範疇には入らない。

 何が正常で何が異常なのか、その評価は周囲の人間の評価によるものが大きいのではないだろうか。

 例えば、ある国では、トイレは人前でするものであるという風習があり、当り構わず道端で排尿、排便をするのが当たり前だとする。

 その国から、やってきた人が、日本でそれを行ったら、警察に逮捕されるだろうし、それを見ていた人は変わった人と評価するだろう。

 

 これはたとえ話なのだが、普通の日常生活で、その環境で暮らす人たちの風習からかけ離れた行動をとることが変人と評価されることになるのである。その行動の異常さは、本来人間が持つ本能を隠していた部分を表に表しただけに過ぎないのかもしれない。

 アスペルガー症候群自体も、知的障害が無い部分に於いては、上に書いた例え話とそれほど違わないだろう。分類に於いて人間はすべからくどこかに野生の本能を持っていると思う。その野生の本能を表に出した時に、人を殺したり、何かを破壊するような行動をとるのだと思う。

 そういう意味で、すべからく大なり小なり人間はその気質を持って生活しているのだと思う。もしその本能を抑制しようとすればすべからく人間は無気力な動物に成るのではないか。

 自分は、精神科医でも何でもないことをお断りしておく。