組織と個人

 晴れ。朝の日差しは、太陽が充分にあがっていないため眩しくて顔を上げていられない。気温は、太陽が出て10度くらいになったが、朝方は冷え込んだ。


 人というものは、多くは個人の意思を持つのだが、その意思を無視して組織に従わなければならない、或いは従うような状況に流されてしまう。

 そのため、世論という便利な言葉が出てくる。個人個人の考えは、まさしく十人十色なのだが、一端集団に成るとその個人の考えとは別にその集団の統一した考えが求められる。その中で上手く生きようとするなら自分の考えを曲げる方が簡単でもある。もし、その中で自分の考えを貫き通すならその集団から離脱するか、悪くすれば村八分状態になるだろう。

 自分の生き方を大事にしようとするなら、そういった所から離れたところに行くべきなのだが、自分以外に家族があり部下が居るなどの色々なしがらみがそれを阻むことになる。あるいは、これからの生活というものも掛かってくる。

 ただし、集団で行動する場合、勝手な考えで行動されることも集団にとって不味い場合がある。例えば、集団で登山に行くような場合、その中の何人かが勝手な行動をとり、集団の行動を乱すようなことが有れば、最悪遭難の危険性も出てくる。

 やはり、この意思も尊重はしなければならないのだが、ある時期はその集団の意思に従うと言った考えが人間には必要である。その中で、人は妥協しながら生きて行かなければ集団としての生活が守れなくなるからである。

 しかし、その守らなければならない規律の基準が曖昧である場合が多いことも事実である。企業であれば法令に違反して行動することが企業の利益に通じるという考えから、法令違反を黙認するあるいは強制させられるという事が起きてくる。その集団の中では、法律は破るためにあるのである。その極端な例を上げれば暴力団組織となるだろう。

 

 そして、企業の中には自分たちの利益を守るためにそういった事を犯すところが出てくる。例えば以下の例である。

引用 ロイター(http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPTJE98P02C20130926

米司法省は26日、日本の自動車部品メーカー9社と企業幹部2人が、米自動車メーカーに販売される自動車部品の価格操作に関与していたことを認め、総額7億4000万ドル(約730億円)を超える罰金を支払うことで合意したと明らかにした。

 これなどは、会社の利益を守るために行った事が、結局は損害を与えることになる。もしかするとこの企業らの中にもこういった事に反対する人がいたかもしれないが、そういった意見は無視され、集団の意思として法令違反も良しとすることが平気で行われる。

 現在、調査中であるJR北海道の件も、そういった命令が隅々まで行き届いていないことを重々知りながら幹部は、会社の利益が上がるならという考えから見過ごしていた可能性がある。例えば保線費用に掛かる経費が前年度より少なければそれは企業の利益につながり自分の評かも上がるからである。実際は、今回のように脱線事故を起こしたり調査に入られて企業の評価が下がり、未来の営業利益や自分の将来をも犠牲にしてしまう。

 最初に書いたように、もし自分の意思をその集団の中で貫き通すなら、仲間を募り、そこから集団の意思を変えていく必要がある。そういった努力をしなければ、一人の意見が通ることは無い。それは、多大な自己犠牲が伴うものであるが、その評価は、未来に次の世代が受け取るべきのものである。自分が受け取ろうと思うと間違った方向に行ってしまう。

 目先の利益を追うものは、将来の大きな利益を損する結果となるのが殆どと考えて良い。できるならそういった目線で物事を考えられる人を育てていきたいものである。