記憶

 秋晴れ、気温は朝の6時で13度、すっかり秋の様相である。

 人の記憶というのは曖昧で、簡単に嘘の記憶を植え付けられるという話がある。そういえば幼馴染と話した時、自分が本当に体験した記憶が無いことを思い出話されたことがある。

 いくら自分の過去の記憶を探してもそんなことをした覚えがないのだが、なつかしそうに話されると思わずそんなことがあったかなと返すしかない。

 人の記憶というのは、生まれてこの方全ての行動を記録している物でもない。すべて記録することができるなら一夜漬けでテストは満点を取れる。しかし、残念ながら覚えた先から忘れて行くものである。

 更に言えば脳は現実に見えないものを見せることができる。簡単なものは夢である。実際起きてもいないことを脳内で再生する。その物語の一端は脳に残った記憶の断片を利用している。何故なら実在の人物や建物が出てくることがあるからである。

 

 そういった脳の誰でもある動作から生まれるのが、心霊現象と言える。幽霊が見えるのは、仮想現実と現実が丁度フュージョンしたようなものである。覚醒しているにもかかわらず、脳内の一部が反応して白昼夢を見させる。

 それを霊感と言ってテレビや雑誌などに特集されることがあるが、それは間違いなく実在しない幻覚を見ているのである。普通の人が睡眠中夢を見るように、霊感が強いという人は、生まれながらあるいは後天的な作用で空想のしたものを映像化できるようになるのである。それは、その人が持つ空想の産物であるので、その人の記憶の中でしか生成することができない。自分の記憶の断片を映像化するしかないので、幽霊は、親族であったり有名人であったりするわけである。

 

 多くの幽霊伝説は、そういったもので出来上がる。現実と空想の狭間で生きている人であり、特殊な才能と言えるかもしれない。

 それが本人だけの自己完結した物語に完結すれば良いのだが、しばしばそれを商売のタネにしたり、周囲に対する問題行動の発端になってしまうことがある。怪談話のような娯楽として存在するだけなら良いが、度を超すような人間が周囲にいると多くの人が少なからず迷惑を受けることになる。

 脳内のそういった活動が、人間にとって誰でも起きうることは間違いない。それを簡単に引き起こすものが麻薬やある種の治療薬である。しばしば、作用副作用により幻覚を生じさせる。そういった事で引き起こされるのだから、何かの過程で普通の生活でも起きうることだと想像できる。

 

 またそういった幻覚作用、集団催眠のようなもので引き起こされるのが奇跡というものだろう。今のマジシャンが数百年も戻れば偉大な宗教家に成れるだろう。

 簡単な手品だとしてもそれを見た人は、常人にできない奇跡を引き起こしたと思うだろう。そうして一端信じてしまえば信者は脳内で幻想を作る。

 跡は思いのままである。人は本当に信じたいと思えば、嘘や偽りを見抜くことが出来なくなる。それは、オレオレ詐欺に引っ掛かるようなものである。信じさせることで勝ったに脳内で嘘の記憶が出来上がる。


 人は騙されないように生きていると思っているだけで、色々な場面で騙されている。代表的な物がテレビや新聞の記事に隠された嘘だろう。騙されないように身構えて見ていても、あっさり騙され、それが実際に起きたことあるいはこれから起きるだろうことに脳内変換されそれも嘘の記憶として形成される。

 人間とはそういう生き物だと認識して生きて行くしかない。