朝日新聞の今後

 曇り、時折水滴が顔に掛かる。今にも雨が降りそうである。気温は10度。


 一連の朝日新聞誤報問題について書いて置く。


 朝日新聞が何故一連の記事を連載し今までその方針を貫いてきたかについて考えてみた。

 第2次世界大戦が終結し、日本は敗戦国となった。その際、朝日新聞は、戦時中の軍部に寄った報道を反省し、それまでの論調から大きく舵を切った。それは、東京裁判に通じる戦争協力者を含む断罪だった。

 朝日新聞社内でも推測だが、軍部協力派は粛清され、戦時中に戦争反対の意思をもった社員が実権を握ったあるいは、そういった意思の無いものも時代の空気を読み戦争反対派が多数を占めるようになったのだろう。

 その中で、戦争責任を追及し、戦時中の権力を欲しい侭にしていた人や組織を批判してきたわけである。とりわけ敏感だったのは、軍隊というものである。

 考えは単純である。軍隊を持たなければ戦争を起こさないだろうという真実がそこにあるからである。その当時、戦時中抑圧されていた社会主義に傾倒する人たちが勢いを吹き替えし、その存在を認められ活発に活動したことと機を共にするものだった。

 そのため、軍備に対することに関しては非常な闘志を燃やし報道を続けることに成る。しかし、その朝日の思いとは別に、やはり戦時中を生き延びた人たちに戦争は悲惨だが、軍隊を持って他国の侵入に備えるという考えの人間も多く居たし、その当時占領していたアメリカも日本の再軍備を容認し自衛隊の設立を認めた。

 

 戦争は終結したが、その後、中国に共産主義が勢力を増し、それまでの中国政府は敗走し、中華人民共和国が出来、更に当時社会主義国家であったソ連も南下に意欲を燃やし、朝鮮半島では、中露対アメリカという対立から1950年に朝鮮戦争が起こるという不安定な状況で、アメリカも近くに米軍の拠点となる軍事基地が必要で、更にその応援に日本の軍隊も必要と考えたのはあながち間違いない事実だろう。

 そういった社会情勢を踏まえ、日本で1951年に自衛隊の前身である警察予備隊が設立されたのである。

 その時、朝日新聞も軍隊に通じる自衛隊が出来たことで、その方針を批判する勢力に与する存在となったわけで、それと同時に日本が再軍備してまた戦争を起こすようなことに成らないように、報道でけん制する役割を担う事を決めたのだろう。

 日本はその後、自民党の長期政権が続いたわけであるが、自民党自衛隊容認派で、自衛隊を軍隊にしたいと考えていたし、憲法改正をも狙っていた。

 朝日新聞の戦争反対のよりどころである、憲法9条を改正されることは、自らのポリシーをズタズタにされることであるため断固反対の姿勢を取ることに成る。

 そういった一連の流れを非難するために、慰安婦問題、南京虐殺問題が朝新聞が取り上げるようになる。その意図は、当時の日本軍の残虐性を強調することで、国民世論を戦争反対に向ける目的だった。

 そのためには、戦争の残虐性を誇張した一般人の話を取り上げ報道を行い、それが事実でないと判っていても誰も証明できないだろうという自信が有ったのだと思う。

 正義のためには、それが誤報に成るかもしれない恐れがあったにしても報じてしまうという勇み足的な物も許容されていたのだろう。

 その批判の目的のために、外国世論を利用しようとしたところもある。政府が何か政策を行う際、必ず中国、韓国の世論を報じてきた。それは他国の世論を利用して朝日新聞の考えを代弁させるものだった。

 そのため、中国の再軍備に対して批判的な論調は少なく、あたかも中国政府に肩入れした報道が目立つようになる。それは、中国の世論を利用するために、中国をなるべく悪者にしないとう理屈からだと思う。

 更に、韓国は、日本と近く、更に多くの在日朝鮮人が存在するため、ことさら韓国、北朝鮮を非難することは無かった。

 そういった歴史が続く中、時代は変わり、中国韓国が予想以上の発展を遂げたことで潮目は変わった。表だって非難してこなかった両国が日本非難を始めたからである。今まで虐げられたという考えを持つことに加え、日本が敗戦国だという事実が、日本を戦争犯罪について非難しても許されるという考えを持ったのだろう。あるいはそれまで有った劣等意識が国力の回復と共に世界に自分たちの考えを主張しても他国から咎められないという事実に気付いたのだろう。

 そして、それと同時に今まで日本政府批判のために中国韓国が非難しやすいように情報提供を結果的にしてしまった過去があるため惰性のように行ってきた記事が、徐々に国民に受け入れられなくなってしまったからである。

 その証拠は、朝日新聞の目の敵である安倍内閣が朝日の予想外に支持率が高いことである。最初の安倍内閣は、朝日新聞の努力も有って早々に退陣し、その後色々あって民主党政権になった。

 朝日が期待した民主党政権も政権慣れしていない寄せ集めの集団であったことから国民の支持を得られず退陣したことが誤算だっただろう。

 朝日が担いだ民主党政権が脆くも崩れ去りそれと共に、それまでの新聞発行部数の減が続き世論との乖離が明らかに成ってきた。それが今に続いているのである。

 朝日のポリシーである戦争反対も、平和が続けば戦争が悪であるという考えよりも、自分たちの獲得した領土を守ろうという保守的な意識が高まるのは無理もない。更に自分たちの安全のため、他国からの侵入を防ぐという意味で軍備も必要であるという意識に変わってきた。

 それに対して、朝日の報道姿勢が変わらざる負えない所に慰安婦報道問題が出てきた。この問題は、朝日新聞の非を認める物であり。それを許したという事は、朝日新聞内の軍隊反対を唱える勢力が退職等も併せ減ってきたという事なのだろう。

 それに合わせ、軍備もありという考えを持つ記者が増え、それまで何でも反対を唱えておけば記事に成るということが受け入れなくなってきたのだろう。

 更に上に上げたように、国民世論との乖離が如実に発行部数の減と重なれば何らかの手を打つ必要があり、その方針の方向転換をするために今回の記事取り消しを行ったと言える。

 しかし、その発表は、日頃から他者を非難している危機管理という観点から言えば、同じ轍を踏んでしまった感が有り、明らかに失敗してしまった。更にそれをフォローするにも時間が掛かったため更に深みに嵌ってしまい、国会で問題として取り上げる事態になってしまった。

 初めに、純粋な気持ちから始まったであろう戦争反対という旗印も、時代の流れを読み誤り、今まで通り日本が悪いという自虐史観のもと記事が書かれてきた。しかし、その何でも日本が悪いという非難を行う目的のために他国を利用してきたことが、徐々に朝日の思いもよらぬ状況に進んできたことを感じていながら方針転換が出来なかった。

 果たして、今後、今までの報道姿勢を貫くことで失う発行部数を安穏として見守って行けるだろうか。しかし、戦後一貫して戦時中の報道姿勢の誤りを認めたという原点から最出発したわけであるから、方針転換は容易では無い。

 この先、会社の存続を目的とするのか、今の報道姿勢を貫き弱小となっても生き抜く覚悟があるのか、この先生暖かく見守って行きたい。