普天間問題

 晴れ、気温は18度。直射日光は暑いが、時折強く吹く風が熱を奪っていく。暦の上では立秋、秋風の時期である。

引用 産経新聞https://www.sankei.com/politics/news/180806/plt1808060018-n1.html) 

沖縄県は6日、米軍普天間飛行場宜野湾市)の移設先となる名護市辺野古の埋め立て承認撤回に向けた防衛省からの聴聞について、予定通り9日に実施すると防衛省側に伝えた。防衛省は「調査や書面の作成にも相当の日数を要する」として、聴聞の期日を9月3日以降に変更するよう求めていた。

 この問題、きっと一生決着はつかない問題だろう。必ず物事には賛成派、反対派そしてどちらでもないというように意見が分かれる。その意見のどちらも説得に負けるようではこのような対立は生まれない。どちらもそういった一つの意見に集約することをお互いに認めなかった人たちだからである。

 どちらに決着がついてもそれに同意見ではない人は何時までも同じ行動をするものである。それは、今までの歴史から言っても同じことである。

 更に言えばそういった国との争いに顔を出すことが自分たちの存在意義と感じる人たちが参加することで物事を複雑化させているといえる。

 純粋に自分たちの土地を自然を守ろうとする人の中に、別なイデオロギーが混じることで彼らの純粋な気持ちが伝わらなくなる。敵の敵は味方という感情で味方につけることで、本来の集団が異質化していく。元々あった母体の目的が味方にした相手の要望も加えることによって思想が分散する。

 今の普天間基地の反対派には多くの政治運動組織が係っているようだ。元々の小集団から規模を大きくした中で色々な集団を抱えてしまっている。反対の御旗の元に集まった人間は同じ言葉を叫ぶことで一致団結していくと考えているのだろうが、大きくなった組織はその足元で異なる動きをするものである。

 世界が本当に平和ならな米軍基地は日本に存在する必要は無い。この基地問題も結局世界が平和になったなら解決するはずである。しかし、平和になってから撤退するのか平和にするために撤退するのかその考えの差である。

 平和になるまで基地が必要なのか、平和にするために基地が必要ないのか、そのゴールは一つでもそこに到達するための考えが違う。同じゴールに行くためにその考えは一つになることは無い。