迷文

 雨、朝の5時ころからポツポツ降りだした。気温は11度。

 このブログは、朝のほんの短い時間でいつも書いている。そのため、文章を後で見直すと誤字が有ったり同じフレーズを繰り返したりしていることが多い。

 この原因は、文章を書いているうちに次のフレーズが出てきてそのまま書き写すので推敲が無いのが原因であると分かっている。それでも見直しをしないのは、時間が無いのと、言い訳になるが、そういった必要のない文章をスラスラ書けるように練習台にこのブログを使っているからである。

 ネットを徘徊すると、やはりそれなりの文章を書いている人がほとんどである。自分のように読みにくい悪文を書いている人は少ない。だからである、意地でも見直さないと決めたのである。

 ただし、リンクや誤情報を記載した場合は、修正しているつもりだが、もしかしたら気づかないでいるものもあるかもしれない。そういう点では、このブログは、便所の落書き程度か少しましな方ぐらいに考えている。

 小学生の頃、授業で作文を書かされることがあったが、自慢ではないが一番出来上がるのは早かった。言葉はあふれるほど出てくる方だったからである。しかし、やはり今と同じように見直しをしないため後から読んで自分ながらひどいと思ったことは多い。

 しかし、不思議と小学校の先生は書き直しを命令しなかった。書き直しを命じられたのは、何かの作文コンクールに出した時くらいだろう。それも出されたというだけで何の賞も貰っていない。

 その思いついた言葉をただ書き写すだけなら得意なのだが、振り返って自分の文章を読み直すのが苦手というのは今でも変わりなく、その理由の一つは、やはりこっぱづかしいという事である。いうなれば、恋人にあげたラブレターを自分で読み直すようなものである。もし、過去のそんな文書が残っていたら自殺ものである。

 だから、時たま作家の恋文などが死後に公表されることがあるが、そんな文章を公開されてあの文豪も草葉の陰で泣いているのではないだろうかと思う。

 上に書いたように便所の落書きと同じ書きなぐりの文書を書き続けながらも、なかなかへたくそは治らない。いったいいつになったら一発で素晴らしい文章を書けるようになるのだろう。