中国

 曇り、気温は13度。6月は、晴れた日が本当に少なく終わりそうである。

 つくづく感じるのは、世の中の動きは予想がつかないということである。その一つが、中国の動きだろう。あれだけ広大な面積を持ち、人口も多くいて貧しい国だったのに、今では見違えるように富んだ国になっている。その資本が国内ではなく海外企業の買収という形で顕著になっている。

 そうしてその陰で、バブルが弾けているという話で、労働者賃金の上昇、生産過剰、など次々と負の話が出ているにも関わらず、爆買いという言葉ができるほど消費が旺盛である。

 その理由の一つが、富の偏在であるし、借金という概念がないのだと思う。借りるだけ借りてしまえばそれは所得になる。借金は日本の国債と同じように政府が管理しているため国が破たんしない限り外には出ない。いくらでも国内の借金を膨らませることができればある程度無問題ということだろう。

 日本の財政赤字の額をここ数年で築き上げた感じである。その借金で国として財政破たんをきたすまでもう少々のところまで来ている。しかし、社会主義国家という体制は、その破たんが起きれば人民を犠牲にすることが可能である。大多数の国民を奴隷のような環境に追いやり、政府に対する不満を漏らさないように絞めつけさえできれば国内は安泰である。あとは、そこからの上りで借金と呼ばれるものを返済していけば良い。

 社会主義は、国民が平等であるという概念を飛び越えて、支配階級になれば栄誉栄華は思いのままに操れる社会を作り出せるということである。まことに支配階級にとっておいしい制度になっている。


 国としての成長が進み、教養を持つ国民を多数作り上げてきた今、支配階級の枠が財政破たんとともに少なくなってくるわけで、その少ない枠に漏れる人間が多数出てくるはずで、その枠から外れた人間たちをどのように押さえつけるかが社会維持の要点となる。

 果たして、この先に訪れる未来はいかようになるのか気になる。そして翻って日本は、そろそろ自民党の支配に飽きが出てきたころである。今、正常な運営ができている野党がいない中で政権は安定しているように見えるが、その時が一番タガが緩み派閥争いが表面化してくる時でもある。

 安倍政権は長期政権で何とかなっているが、必ずそれが終わりを迎える時が来る。その時に現れるものは誰なのかということになるだろう。