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引用 中日新聞(http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2017092102000121.html)
敵と味方を峻別(しゅんべつ)して社会の分断を深める手法は、外交姿勢でも同じようだ。トランプ米大統領の初の国連演説は、敵と見なす国への敵意と脅しに満ちていた。これでは世界を不安定化させるだけだ。
トランプ氏は北朝鮮とイラン、ベネズエラを「ならず者国家」と呼んだ。北朝鮮に対しては「米国や同盟国の防衛を迫られる事態になれば、北朝鮮を完全に破壊するしか選択肢はない」と最大限の脅しを利かした。
これに先立って登壇したグテレス国連事務総長は北朝鮮の核・ミサイル問題に絡んで「激しい言葉のぶつけ合いは致命的な誤解につながる危険がある」と警告を発したばかりだった。
これは、9月21日の中日新聞の社説である。
激しい言葉のぶつけ合いは解決を困難にする。人と人のケンカの場合正しい理論である。しかし、国と国同士の激しい言葉のぶつけ合いは、いわゆる駆け引きも含まれている。
国は一つであるが、考えが異なる人間の集団である。考えが異なりながらも一つの集団あるいは個として考えるのは間違っている。現に安倍政権の北朝鮮の対応を非難する勢力は存在する。
今回、トランプ大統領の演説の内容を支持するアメリカ国民もいれば反対の国民もいる。しかし、選挙で選ばれた大統領の発言はアメリカを代表する意見であると容認している。
更に国連事務総長の事前の言葉も、アメリカ大統領が過激な発言をすると見越しての発言である。既にそういった演説を行うことを知っているからである。
果たして、外交に冷静な対応だけで済むようなものがあるだろうか?甚だ疑問である。
人間の世界では、冷静な話し合いをしている間に時間を稼ぎ、その間に空いての裏をかこうとして行動する人間は多く存在する。冷静な話し合いができるのは、信頼関係が存在し、裏で別な行動をしないという信義に基づいて行われるものである。
こちらが誠実であれば相手も誠実に接してくれるはずだというのは、まだ世間を知らない小学生レベルの考え方である。この社説を書いた方は、北朝鮮が誠実に対応するという前提でアメリカ大統領の発言を非難している訳である。
そうして社説はこう結んでいる。
こうした対決姿勢には、相互理解を深めたり融和を図ろうという意思はうかがえない。敵と見なされた国は憎しみを募らせるだけだ。超大国としての責任の重さを持ち合わせていないのなら、危険ですらある。
アメリカ大統領は危険な存在であると断定している。素晴らしい解説力である。あくまでも北朝鮮は、交渉の間誠実に対応する国であり、それを非難するアメリカは危険な存在であるというのである。
確かにアメリカは危険な国である。アメリカ第一主義というのはいかようにも解釈でき、国民の利益と、企業の利益と、個人の利益とをいくらでもごちゃ混ぜにできる。本当にジャイアンのような国である。
しかし、もう一方の北朝鮮もしたたかである。右手で握手をしようとしていても左手で拳銃を握っている。それが小国の生きる術だと知っている。少なくとも中日新聞の社説を書く人間より生きるために全力を上げている。その方法が正しいか正しくないかは別であり自分たちの信じる方向に向けて突き進む。
今回のICBMや核実験でも、相手の脅威になろうとするために全力を尽くそうとしているのだ。決して話し合いで解決しようとはしない存在である。
そういった存在に対して本当に柔和路線で対応するだけで良い筈はない。色々な手段で行動するしかない。相手が折れるような厳しい言葉をぶつけ相手の出方を見る。それは外交の一つの手段である。
アメリカもいざとなれば同盟国を見捨てる可能性はわずかに存在する。日ソ不可侵条約を結んだソ連が勝利国となるために条約を破り日本に侵略してくるのも外交手段の一つである。国と国との間に信頼関係は常に存在するとは限らない。
この社説を書いた人もおそらくこの座に就くまでに色々な駆け引きを行ってきただろう。常に交渉相手は誠実な人だったのだろうか?誰かの裏切りに合うこともなく人生を過ごしてきたのだろうか?疑心暗鬼になることも無かったのだろうか?