松本智津夫亡き後

 少し霧雨が降る天気。気温は12度。相変わらず低い。日中もこの気温は上がらず、夜には雨という予報である。観光シーズンの北海道にとって非常に苦しい夏の出だしである。


引用 朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASL763GV1L76UTIL00N.html) 

死刑執行を受け、警察庁は6日午前、後継団体「アレフ」など関係施設の警戒と警備を徹底するよう都道府県警に指示した。警視庁は不測の事態に備えるため、東京都葛飾区の東京拘置所のほか千代田区法務省最高裁などに機動隊を派遣した。

 オウム真理教が、地下鉄サリン事件を起こしてから23年の月日が経ってしまった。あの事件が起きた時の衝撃は大きかった。あの当時オウム真理教が引き起こした一連の事件は、まさか日本でこのような事件が起きるはずが無いと信じていた者を思考停止させたはずである。

 オウム真理教に操作の手が伸びた時でも頑なに自分たちの無実を叫び、国家権力の横暴であるとほざき、その陰で地下鉄サリン事件を起こすなどテレビの前の日本人は誰も思っていなかっただろう。平和な国であった日本の幻想を打ち砕いた出来事でもある。

引用 読売新聞(https://www.yomiuri.co.jp/national/20180706-OYT1T50044.html) 

オウム真理教は2000年に「アレフ」と名称を変えた後、07年5月に、運営を巡る路線の対立から主流派「Aleph(アレフ)」と分派「ひかりの輪」に分裂。その後、アレフの女性元幹部らの団体に分かれた。最盛期の1995年には1万人を超えた信者数は現在、計約1650人に減った。

 オウム真理教の元信者は、3つの教団に別れまだ活動を続けている。彼らの中で教祖松本智津夫は生きている可能性が高い。生きているというのは、キリスト的な殉教死した聖人として生きているという意味である。

 以下に多くの人を奪ったとしても彼らの精神世界では、命を奪った者のカルマを浄化したという善意の行為であると正当化している。善悪の基準で言えば彼らの世界では善い行いで解決されたもので松本智津夫の神聖さは不変であるのかもしれない。

 例えば、自分たちの精神世界を現実化するために抗う敵を倒すことは世界を平和にするには必要悪であり、それによって人類は幸福世界で暮らせるというのは、新興宗教にありがちな教義であり、オウム真理教に限らず持つ者である。

 例えばキリスト教でもキリスト教を唯一とする世界を作るために蛮族である異教徒を征伐する十字軍は、神聖な騎士である。異教徒は人の形をしているが人ではないのである。

 宗教は、大量の殺人を犯したとしても世界で唯一平和な世界を構築できるという教えを信じることで正当化する。その考えは、どのような宗教も持っている。

 オウム真理教がこうした事件を起こしたが、この先、オウムの流れを汲む集団が同じような行為を今後も繰り返す可能性がある。日本人の大半がオウム真理教の信者になる日は来ないと思うが、もし、この先そういった新興宗教の集団が松本智津夫を神格化し、その教義の元で犯罪を起こす可能性は全くゼロではない。

 必要なのは、宗教は自分を救うが、関係ない他者の人生を奪うことがあるということを心に何時もとどめておくことである。善意ばかりの宗教が道を踏み外すことがある。善意の押しつけは悪意でもある。