飲酒運転

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引用 朝日新聞https://www.asahi.com/articles/ASLBQ56QPLBQUTIL022.html) 

青森県つがる市の国道で9月、酒を飲んで乗用車を運転し、4人が死亡するなどした多重事故で、自動車運転死傷処罰法違反(危険運転致死傷)の疑いで逮捕された男が、県警の調べに「酒を飲んで車を運転した」と供述していることが分かった。一方で男は「正常に運転できた」とも述べ、逮捕容疑については否認しているという。

 なぜ飲酒運転がなくならないのか?

 2009年の改正道路交通法で飲酒運転の罰則が強化され、運転免許取り消し期間や罰金が飛躍的に増えたわけである。しかし、飲酒運転が減ったかといえばそうではない。

 この道路交通法が改正されたときに、飲酒運転逮捕即懲戒免職ということを行った事例があったが、それも裁判では認められないという判例が出たりした。

 ただし、飲酒運転だけで逮捕拘留ということは最近は聞かないので、やはり事故などを起こした場合が逮捕のような気がする。逮捕まで行くと懲戒処分は免れないが、そうでなければその職場の業務規則などに明らかになっていなければならないだろう。

 飲酒運転をするのはやはり飲酒を習慣にしている人が多いような気がする。普段酒を飲まない人がたまに飲む時に車を運転している場合というのがそれほどないからだろう。そういう意味でやはり常習者が車を運転する割合が多くなるのは当然である。

 飲酒というのは厄介なもので、やはり大きいのは、気が大きくなることだろう。酒を飲んで人生を悲観するような人はおらず、逆にそういったことから逃れることを目的に酒を飲むのだから、一定の社会的道徳から逃避する傾向が高い。だから酒を飲み車を運転することも社会的制約から逃れる行為の一つなのだろうと思う。

 すなわち社会的制約イコール法律で罰せられることへの抵抗が弱まるということである。しかし、すべての飲酒をする人がそうではなく人によるところがあるが、一定程度の限界を超えたときにその制約を制約と思わなくなる。

 いわゆるスイッチのようなものでそのスイッチの入り方が人によって異なるだけである。だから酒を飲む一定数の割合で飲酒運転を良しとする人がおり、さらに一度運転できたから捕まらなかったからという理由でそのスイッチの入り方が弱まり、酒を飲むのがわかっていて車を運転して飲み会に行くということが普通になるのだろう。

 結論から言えば、飲酒運転を無くすために罰則を強化したが、やはり悪質な運転手に対しては抑止力は弱いということになる。しかし、ある一定の割合では抑止力があったと思う。やはり、飲酒運転での懲戒処分というのが当たり前になり、会社勤めのサラリーマンなどには大きな効果あったと思う。

 

 しかし、それでも上にあげたような飲酒運転事故が無くならないのだから、やはり罰則以外の飲酒運転を減らす方法が必要になるだろう。

 例えば車の運転を始める前に呼気検査をして基準値以下でないとエンジンが掛らないというような仕組みである。そういった取り組みはお金が掛るが有効だろう。エンジンが掛らなければ車を運転しようがないからである。それでもそれを回避しようという輩が一定数存在するだろうが、近い将来車が自動運転カーになればとは思う。

 飲酒運転により起きる事故の被害者が無いことが大事なわけで、何も罪もない人が命を奪われることの無いようにするのが大切である。