運命を決めるもの

 晴、気温はマイナス4度.日の出とともに気温が下がってきた.今日の日中もプラスで雪どけが進むようだ.

 

 今日は、ちょっと考えていることを書いてみます.

 運命というのは変えられないというのは事実だと思います.御巣鷹山日航機墜落事故、多くの犠牲者が出た中で偶然その飛行機の搭乗をキャンセルして命が救われた人の話がありますが、そういった大きなアクシデントがあった場合、九死に一生を得たなどということがあり運命というものの巡り合わせが大きく語られます.

 

 そういった、この時こうすればということが人の人生ではつきもので、何か自分の運命を神のような存在が左右しているのではないかと考えるときもあるでしょう.

 そんな人生を左右するものは、時間だろうと思います.たとえば、日頃利用する通勤、通学列車のいつも決まった時間のものを利用している場合、ホームに数秒前に着いたとしても、その早く来た時間分の差は定刻発車という決められた時間に強制的に合わされます.東京などの都会の電車は、絶え間なく電車が走っているため利用する電車は決まっていない人もいるかもしれませんが、その発車時間は自分でコントロールできないはずです.やはりその電車に乗る多くの人が電車という物体の動作に依存している、言い換えれば運命を左右されているということになります.

 こういう例もあります.毎日、通勤、通学に使う道路の信号ですが、そのタイミングは不規則で時間に何の関係もないと思っているかしれませんが、毎日規則正しく家を出て同じ決まった速度で歩いていた場合、信号につかまり立ち止まらなければならない時がありますが、その時間が決まっていることに気付きませんか?前方の信号が青信号に変わる速度で歩いている場合、自分の行動は青信号に制御されることになるのです.

 

 何気ない日常の動作にしても赤信号で待つ多くの人が存在し、青信号で同時に歩き始めるとき、その間は、そこにいる人が同じ時間で行動を始めることになるのです.

 そんな例は他にも存在し、学校などでは授業開始のベルなどもそうです.人は知らずのうちに行動を制御されているといってよいでしょう.

 

 確かに何かに制御されているとしても、それに逆らうことも可能であり、やはり、自分が自分の運命を決めていると思うかもしれません.それはその通りで、その人の運命を決める神のような存在はありません.自分で自分をコントロールしているのですが、そうだったしても何かのシステムあるいは人によって自分の運命も制御されているというのは考えると面白い事実だと思いませんか.