野党、マスコミに感じる気持ち悪さ

 晴れ、気温は10度.頭上には真っ白な月が昇っている.

 

 アメリカ大統領選挙は、バイデン優勢のまま2日が経った.トランプの会見場に居るマスコミも敗北を認めろと迫る.こうなると今まで権勢を誇っていた大統領も形無しである.去り際の姿は哀愁を漂わせている.

 

北海道で新規感染115人、2日連続100人超…警戒度2から3に引き上げへ : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン

 道内の感染拡大が止まらない.何時がピークなのか見通せない状況にあり、このまま行くと道内経済の破綻状態に近付くのではないかと心配になってくる.

 2週間程度外出しなければこの感染が収まるという保証があれば協力するだろう.しかし、それでコロナウイルスが消滅するとは限らないところが対策を後手に回させる原因である.

 そこで出てくるのが生活か感染かとの2者択一になると意見が対立するからどうしても両方をカバーするための極めてあいまいな方法論が出てくる.

 この部分は民主主義の一つの問題点である.自由を保障しようとすれば強制できないというジレンマである.

 その点、中国のような一党独裁で国民に強制をしいり都市封鎖も厭わない、あるいは人命をある程度犠牲にしても大多数の国民を守ることができればその方法は正しいと実行できる国はこういう危機に強い.当然、一部分の人命は軽視されるし、自由というものは制限される.

 もし、今の日本がそういった政策をとるなら野党、マスコミこぞって自由を妨げるなと叫び出すだろう.或いは、逆に自由を制限されることを喜ぶのだろうか?その所を聞いてみたい気がする.

 何故なら、日本の野党は、国会審議でその問題ばかり追求している.これだけコロナウイルスが蔓延していたとしてもそちらの方が大切らしい.

 東京都の医師会長が1000人規模のコロナ専門病院を作るべきだと提案していたが、そういった対策が議論の俎上にない.

 マスコミも新聞で国会関連のニュースを取り上げる時、菅総理が言葉に詰まったということをことさら話題にする.国会質問は、多勢に無勢で質問の回答の揚げ足を取りやすい.十分な回答時間を取ることができれば良いが、そういった時間が取れなければ曖昧な言葉を発してしまいやすい.ある意味、いじめの現場を見ているようで胸糞が悪くなってくる.

 日本学術会議の問題は、明らかに政府の方針と異なる意思を持つ一部の学者が多数存在することが問題なのである.普通の社会で言えば労働組合のようなものである.税金で労働組合を組織しているのである.

 そもそも論で言えば、日本学術会議のメンバーの選考が異常だということである.民主主義国家において選挙等で選ばれるわけではなく、メンバーに推薦された人をそのまま任命する形が異常なのである.推薦された人を学術会議内で審査すると言っているが、それは形式に過ぎない.ある意味日本学者の中の権力者が推薦する人を否定することは力関係から言えばあり得ないことである.それをマスコミは、学者は善で常に正しい行いをするという前提で推薦された学者は任命されるべきだと記事にする.本当に推薦されたあるいは推薦した学者が常に正しい行いをするとは限らない.その部分を履き違えている.

 数年来続く、日本の野党とマスコミは総出で日本の国力を弱らせる方向に導いているとしか見えない.陰謀論と笑われるのかもしれないが.、こにある得体のしれない力を感じずにいはいられない.