世界に向けても人権を主張できる国

 晴れ、気温はマイナス9度.夜明けとともに気温は下がってくる.昨日の日中は暖かっただけに寒暖差に体調が付いていけない.

 

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 日本の世論は、国内の人権問題にはマスコミや市民団体、野党などはテレビ、新聞、SNSを通じて総力を挙げて追及するが、こと外国に向けてはその勢いはない.なぜそうなるかは色々と理由があるのだろう.

 今年に入ってからも、中国に絡む香港の活動家の拘束、以前から問題となっているウイグル族に対する弾圧、そしてつい最近のミャンマーのクーデーターなど、人権に対する弾圧が外国では起きている.

 反対運動は、アリバイ作りのように散発的に起きるが、森騒動のような大きなうねりになることは無い.あくまでも熾火のようにその火元はチョロチョロと炎が見える程度である.

 

 しかし、マスコミの役割は何なんだろうといつも考える.マスコミはアメーバーのようなものである.そのアメーバーは興味の対象を探して触手を伸ばし動いている.全てに触手を伸ばしながら触れるものすべてを報道の対象としない.対象から外れるのは第一に自分たちを傷つけないものである.触れると自分たちに危害を加えられるようなものは、真っ先に逃げるが、それが将来の飯のタネになるのかどうか判断ができない場合、触手をその周囲に広げて置くのは彼らの命の補償である.そして真っ先に手を伸ばすのは、誰かのゴシップである.それがどういった影響を及ぼすか不明でも取りあえず報道する.その報道の影響を確かめ自分たちに影響を及ぼさないと判断すれば次々と燃料投下する.

 ゴシップについては、ジャニーズ事務所のような伝説的な芸能プロダクションに代表される隠然とした力を持つところもあった.その影響力の違いで扱いが異なることは衆知の事実である.

 ジャニーズ事務所の一時のマスコミに対する力は、総理大臣よりも強かったと言える.いうなればある種の権力の頂点にいたと言って良い.

 

 話は横道にそれてしまったが、日本はもう少し世界に向けた情報発信をしていくべきだろうと思う.世界に通用する国にするためにも越えなければならない壁である.

 日本が戦争に負け、その後驚異的な復興を果たした過程で、自分達の商品を売るために世界に対して政治的な態度を取ることを避けてきた歴史がある.それは、物を売るために政治に対して見てみないふりをする商人的な考えである.ある製品を売り、それがその国あるいは他国の人が犠牲になるようなものが完成したとしてもそれは他国の事情であり売る側の責任は無いとして商売をしていた.それは、ある意味多くの国がやっていることだったのだが、もし本当に世界平和を願う多くの国の先頭に立つには資質に欠ける行為である.

 理想と現実の狭間で現実を選択してきて今の日本がある.しかし、そういった甘い時代も終わり日本の競争力は急速に劣化しているのも事実である.このまま行けば必ず世界の中の極東にある小国に成り下がるだろう.

 結果的に小国になるのが結果として決まっているのなら、そろそろ国際的に意見を表明する国になっても問題は無いと思われる.或いは人権に厳しい国という看板を背負ってこの先を生きるというのも潔い生き方ではないかと思う.

 この意見に共鳴できる人は少ないかもしれないが、物にあふれた贅沢な生活を目指すよりもほどほどの生活で有りながら尊敬される国として生きるのも良いと思う.