サッカー

 晴れ、少し雲が多いが夏空である。気温は、15度くらい。


 土曜日に札幌の試合、日曜日にコンフェデの日本代表の試合と見たが、決めるべきところで決めたチームが勝つという事が如実に表れた。

 札幌対岐阜、この試合、どちらもシュートチャンスが無く、殆ど無風状態であったところに、札幌のパスミスを上手く処理できないところで内村が奪い、キーパーを交わし、更に相手選手の隙間を抜いてゴールを決めた。あの場面、相手の選手がゴール前に3人いて、体を寄せる選手が誰も居なかった。きったあの中で誰が行くのか迷いが有り、更にシュートコースを防ぐため体を動かせない、構えた姿勢になってしまっていた。もし、あそこで相手の動きと同じリズムで動いていたら、得点は入らなかったかもしれない。

 それはまさしくゲームの綾である。

 後半、岐阜が押していた時間で、岐阜の選手のシュートが入らなかった。そこで一瞬の隙を突き横野が奪ったゴールも、キーパーが一瞬体を倒す時間が早ければ防がれていたかもしれない。しかし、あの場面で得点が決まったことで、それまでの岐阜の勢いが止まった。

 日本代表の試合も、前半岡崎がオフサイドを取られた場面、完全にオンサイドであった。あれがもし決まっていたらまだ試合は判らなかった。これまでの連戦が続き殆どの選手が動けていない状況で、あのメキシコのパス回しは、本当に厭らしい。しかし、もし先に決めていたとしたら、あの厭らしいパス回しは、日本が行っていたかもしれない。

 本当にチャンスに決められるかそうでないかで試合の展開は変わる。そういう意味で、あの判定を取り戻せたらと思うが、それでもなお香川のシュートが入らないなど、日本に良い風向きは来なかった。


 人の運命も同じようなものである。あの時こうだったらという事は数多くある。その運命の選択の繰り返しである。そこで正解だけを引き続けることができればどれ程と思うが、本当に正解だったかは、その後の未来が起こっていないので、だれも答えを知らない。

 

 それぞれの試合、もしこちらに転んでいたという事は、あるかもしれない。札幌も、あの大量得点で慢心し次の試合を落としてしまうかもしれない。或いは、この試合負けていたら、他の選手がチャンスを得て、この先連勝したかお知れない。

 しかし、実際の現実は、そういったものを含めて動いている。、決して正解などあり得ない。良い運命、悪い運命を選択するか、或いは選ばれ、それを自分にとって良い運命に替えることができるか、その人の今後の行いが決めることなのだと思う。