思想に右、左は存在するか。

思想とは、字面からすれば思ったことである。
その思ったことに右、左が存在するのかと言うのが今日のお話。

 簡単にウヨク、サヨクと思想の色分けをする人がこの世に無数に存在する。有名なblogの中にも思想信条を攻撃対象としているものが散見するが、完全なる右、左の思想はこの世に存在しない。なぜなら右、左が存在するなら必ず不動の中立する思想が存在しなければならないからである。

 あまり簡単に結論に達したため話が続かないが、話を続ける。

 例えば、自分が部屋の中央に位置した場合、右手が右側で、左手が左側である。非常にわかりやすい。では、部屋の中央に自分が存在しない場合、部屋の中に右側、左側は存在しないことになる。

 思想は部屋である。その中に立ち入る人間がその中に充満した思想を右と左に選別するだけである。思想するあなたがモノサシである。こんなモノサシで、あの人の思想は右、左と論じているのである。

 人それぞれの思想が違う、ある部分では近いが、ある部分では別である。と言う事が現実世界では当然のことのようにある。だがその思想信条の違いを社会的なかかわりから、自分の思想を隠し上の考えに追随しなければならない事が多くある。
 
 そんな時あなたならどうする。

 あくまでも自分の思想を貫き通す事ができますか。
 自分の思想を貫く事ができるかできないか、或いは、従う従わないであなたの生き方そのものが変わってしまうのですよ。そんな時が人生のいたるところで見え隠れしているのである。

 自分は、決して意思が強くありません。もし、江戸時代のキリシタンのように踏み絵を踏まされたなら転んでしまう人間かもしれません。でも、抵抗はするはずです。