カルトは、人を救えるのか?

今日、TVで「摂理」の話題を放送していた。この部分、報道の姿勢として、若くて美人の女子大学生が教祖の性欲の生贄にされていたという部分がセンセーショナルに報じられ、ことの本質である、何故この教団が人々にとって問題なのかという部分が抜け落ちてしまいそうで怖い。
 今後、ワイドショーで取り上げられ、ゴシップネタの一つとして報道されてしまうのは仕方がない(この報道で、若者が間違った方向へ向かわないための情報提供とするなら)。もし可能なら、何故カルトが、問題なのかを分析する硬派な報道番組を各社が制作し放送してくれることを望む。

 自分も、まだ予備校生の頃、安い貸間を借り自炊生活をしていた。その頃は、予備校と部屋の行き帰りだけで、何と言うか根暗な生活を送っていた。金もないし、やることは受験勉強だけ、地方から上京してきたため、友達も居らず、ある意味精神的に不健康な日々を送っていた。
 ある夜、ドアをノックする音がし、ドアを開けると、凄い美人の女性が立っていた。初めて会う人なのは直ぐ分かった。自分では、部屋を間違えたかと思った。この後の会話は長くなるので割愛するが、要するに新興宗教の加入のお誘いであった。
 
 その時、ふと思ったのは、こんな美人の女性に近づきになれるなら、少し話を聞いても良いかなだった。しかし、ついて出た言葉は、「結構です。」だった。当時、田舎者ながらも、その辺りの噂は知っていたし、それ程バカではなかったということなのだが。
 しかし、後で思い返すと、もしあの女性が、積極的に勧誘をしてきたらどうなっていたか分からない。
 
 あの女性も、新人であんなことをやらされていたのだと思う。余り積極的に勧誘はしてこなかったから、或いは、私を勧誘の対象とみなされていなかったかもしれない。

 その後、後日談もなくそれ以来新興宗教霊感商法などに縁がなく今日まで来ている。

 今問題なのは、やはり若者、それも地方から上京してきたような学生が、このようなカルトに巻き込まれる可能性が高いということである。都会にでてからまだ日も浅く、友達もいない状況で、若くて美人の女性が友達になってくれてるのだから最初は、「ラッキー」と思ってしまうはずである。
 またこの勧誘する女性も、本当に、カルトを信じ、純粋に他人を救ってあげようと思う純真な人なのだから、中々疑うのは難しいだろう。
 また、勧誘された何人かは、それが自分にとって幸せなことであるからと洗脳されてしまうのだからたちが悪い事になる。

 カルト以外の、現在の宗教も、救いの他に、何らかのお布施を要求する。その形態は、なんらカルトと変わらない。もし変わるとすれば、そのお布施が、高いか安いかである。お寺なども、お寺の修繕費用という名目で、檀家に寄付を求めたりすることと同じかもしれない。

 それでも、カルトと他の宗教が違う部分は、長い年月を掛けて存在することによって大衆に認知されたかされていないかの違いでしかない。今の、世間で認知されている宗教は、長い年月を掛け、自分たちにとって無害であると信じられたから存在しているのである。

 もしかしたら、宗教そのものが、生まれる時は、必ずカルトだったのである。そして、その宗教が、人類を救えたのか分からない。いまだに、宗教間の対立で戦争は起こるし、その宗教を守るためという名の下にテロは起こる。
 「人類が平和でありますように」と唱える先から、別な宗教と聖戦という戦争を引き起こす。

 全ての宗教を、否定するつもりは無い。ある部分では、人を幸せにしてくれる。しかし、幸せになるということは、もしかしたら別な人を不幸にしていると考える必要がある。決して、全ての人が幸せになることは無いのである。

 カルトに嵌ってしまった人たちに、いくらあなたたちは間違った方向に進んでいると説明しても聞き入れることは無い。その方向が、自分たちにとって正しいことだと信念を持って信じているからである。脱退に向けた努力も、「キリストの迫害」と同様に受け取ってしまうからである。

 まず、行われなければならないのは、カルトに勧誘される前の若者たちに、宗教とは何なのかを理解させる努力をするべきだと思う。
 
 宗教は、人類全てを幸せにしないのは間違いない。これだけは知って欲しい。