税制論議

ここでも何回か書いたが、消費税論議が先送りになりそうだという。

 明らかに自民党の選挙対策である。こういう目先の益に惑わされ根本的な未来の設計図なしに先送りされ、場当たり的に税率だけアップしてきた。
 
 もし、将来的な税金のあり方を議論できないのなら、自民党は即刻下野すべきであり他の政党に政権を譲るべきである。
 そもそも国会議員や政党は、お互い議論し将来の日本の舵取りを決めるところである。もし今回消費税の議論をしないのであれば、税収の不足をどこかでカバーする必要がある。
 そしてその不足分のカバーを、最も票につながりにくい、言い換えれば声が小さいところから予算を減らすというのであれば、本末転倒である。
 
 国民一人一人が今より生活水準を上げようとすれば、それなりの負担増は必要である。医療費の国の負担が上がるというのも、国民が健康で長生きできる為の必要経費なら、税金で国民が負担するのもやむ終えない。もしこれを各個人が負担しなければならないとしたら国民皆保険の原則が崩れるからである。
 今の政府の方針は、国民の健康維持には、現在の水準以上は負担しない。もしそれを望むなら保険料を上げるということなのである。
 更に言えば、国民の健康で長生きするよりも、道路を優先的に作るほうが先なのである。でも考えれば分かるように、立派な道路が老人の多い過疎地にできたとして、それを利用する人が死んでしまえば誰が利用するのだろうか。

 防衛費についてもそうである。敵対国からの侵略に備えこの60年以上自衛隊や米軍に支出してきた。その費用は本当に必要だったのか考えてみる必要がある。
 もしその間に侵略があれば必要な経費だったといえるだろうが、過去を振り返れば結果的には無用の長物だった。これは見えない敵におびえて頑丈な住まいを作っていたに過ぎない。

 今後本当に目指さなければ成らないのは、小さな政府だろう。不必要な許認可制度を辞めることだろう。そして少ない予算で国を運営するしかない。
 いま騒がれている予算不足も、これだけ大きくなった政府が、その中に居る人のために仕事を起こしているに過ぎないのである。ちょっと言い過ぎか。
 
 会社でもそうだが、人が居れば何か仕事をやらせなければいけない。もし仕事が無ければ何か仕事を見つけなければ解雇される恐れがある。さらにその仕事は利益を生む必要がある。
 しかし、公務員には仕事が無くても解雇されることはない。そのため何らかの仕事を生み出すことになる。それが全て国民の生活向上につながるものであれば良いが、予算をただ消化するための事業も当然存在する。予算が無駄だとしてもそれを執行した役人が責任を取られることも無い。事業の成果は、個人の成果ではないからである。

 こうして年々作られた無駄が合わさったものが政府の予算といえる。そしてその予算にあわせ国民が税金として負担しているわけである。

 小さな政府と税金。是非この視点で国会で議論してもらいたいのだが、国会議員に期待しても無駄かもしれん。