どうする

少し雲が広がっているが、朝日が差し込む穏やかな日である。朝の冷え込みも徐々にに穏やかになってはきている。

 ガソリンの値上げがさっそく始まったらしい。自分は、既に週末スタンドによって給油していたので最終日に並ぶということはしなかった。札幌の安売りで有名なスタンドには列ができていたのだが、あの並ぶ間に消費するガソリンは相当な額であると思う。こんなところにも無駄を生み出してしまったことになる。

 小泉首相の時から始まった構造改革、そろそろ結論を出しても良い時期である。
 あの頃国民に痛みを我慢しろといわれて早7年たった。その頃の国民は、今痛みを我慢すればばら色の日本がまたやってくると思っていた。

 そして、郵政改革という名の元に行われた衆議院選挙で、国民の大多数の支持の元今の衆議院の3分の2を自民党などの与党が占めることになった。
 はたして国民全体が幸せになったかとすればそれは間違いだった。弱者は更に弱者になり、金持ちは更に金持ちになっただけである。
 その金持ちになった人々がそうでない人になんらかの還元をしたならまだ救われるが、金持ちは、TVに出てそのセレブな生活を自慢するだけで、自分たちの暮らしがその真逆の暮らしをしている人たちのうえに成り立っていることを知らずにいるような顔をしている。

 別に革命を起こしたいとは思わない、社会主義になれとも思わない、しかし、相互扶助、いわば助け合いの精神を国民全てが持つようにならなければ、この先日本はどうなるという漠然とした不安から、国民全体が抜け出すことはできないでは無いだろうか。

 今回、各自治体の首長が、暫定税率の復活を求めた。その先頭に立った東国原知事は、宮崎は道路整備が遅れているから税率を復活しろと主張していた。
 しかし、本当に高速道路が必要かという議論が抜けているでは無いだろうか?

 日本のいたるところで道路整備が行われた結果、鉄道、バスは次々と廃止された。これは、自家用車の普及が先で、利用者が少なくなって赤字になってしまった点も有るのだが、今になって地方の集落の過疎化が進み、いるのは高齢者ばかりとなってしまった。するとどうだろう、車を運転する若者がいないため高速道路を使う必要がなくなってしまったのだ。

 その大事な足を奪われた今、都会から離れた集落に住む老人は、長い時間を掛けて都会の病院に通うことになる。果たして高速道路が地方に幸せをもたらしたのだろうか?
 
 高速道路を皮切りに、新幹線も都会を中心に進められ、地方は省みられない。経営を考えれば乗る人がいる都会を重点的に整備するのは道理である。民間なら仕方がないところがある。
 しかし、その民間ができないところを国が手当てしないで国が成り立つと考えているのだろうか、高速道路を普段利用しない地方の人々はその恩恵をどこで受け取ればよいのだろう。

 今回の、ガソリン値上げの影響は、長距離を移動する地方の人の方が都会に住む人たちより大である。なぜなら都会は、車以外の公共交通機関が発達しているからである。車を利用しないようにすればガソリン値上げの影響も受けにくいからである。

 宮崎が不満をもらすのはもっともだ、しかし、東京に何故もっと文句を言わないか不思議である。あれだけ地方から搾取した売り上げの利益の一部を吸い上げている東京に対して何故もっと文句を言わないのだろう。
 さらに東京に投下される資本は巨額である。その一部を宮崎に回せば高速道路など直ぐできてしまうだろう。
 
 地方の暮らしが危機に瀕しているなら国と同時東京にもっと文句を言うべきである。あの銀行に400億もの金を注ぎ込む愚行に対してもっと意見を言うべきである。

 地方が今の国依存の思考を切り換え、新しい時代に向かうのはいつの日だろう。