子供

 晴れ、今日の朝も渡り鳥が群れを成して南の空に向かって飛んで行った。気温は12度。

引用 共同通信http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012100301001868.html) 

3日午後8時ごろ、神奈川県葉山町海上自衛官長戸逸人さん(36)宅から「母親が子どもを刺した」と119番があった。長戸さんの長女で小学3年碧授ちゃん(9)と生後9カ月の次女彩風ちゃんが血を流して倒れており、2人は病院に搬送されたが、まもなく死亡した。

引用 共同通信http://www.47news.jp/CN/201210/CN2012100301001672.html

広島県府中町の自宅で小学5年の長女唯真さん(11)を殴り死亡させたとして、傷害致死容疑で逮捕、送検された母親の無職堀内亜里容疑者(28)が「30分ぐらい殴った」と供述していることが3日、捜査関係者への取材で分かった。


 このところというか、定期的に親が子供を虐待あるいは殺してしまう事件が続く。悲しいことである。そういう意味で、自分が今あるのは親のおかげと感謝しなければならない。

 虐待と躾は紙一重である。さらに親と子供の愛憎も同じ屋根の下で暮らしているとその深さも増倍される。今回の2つの事件は、自分が産み落とした母親が行った事である。どこにそういった殺意が生まれたのか、ニュースだけでは窺い知れない。

 これは自分の感想なのでこの事件がというわけでは無い。

 親としての人間は、大きく分けて3つある。放任、中間、過保護である。

 共通する意識は、実際の子育てと子供は天使のような存在であるという一般的なも形容とは違うという事である。子育ての中で子供は天使の様であり時には自分にとって悪魔のように振る舞う。

 子供が悪魔のような振る舞いをする時に親がどう対応するかで子育ては決まる。

 その行動を、決して許さないとしたら、それは躾けるしかない。犬の遠吠えや噛み癖を直すために調教するようにである。しかし、その方法を使いこなせなければ躾では無く虐待となる。

 また、そのような行動を子供らしい行動と認識するならその行動を許容できるようになる場合もある。それは慣れと同じで、その行動こそが子供が成長するには必要なのだと悟ることと同じである。

 そしてもう一つは、まるその行動を無視することである。それは育児放棄ともいう。

 何時の時代も子供を育てることは、非常に難しい。しかし、今と違い、昔なら同じ屋根の下に住むお爺ちゃんやお婆ちゃんが親の代りをしてくれる環境が有った。それが昔と今の違いだろう。若い母親が、子育てを誰にも教わらずに取り組むのは至難の業である。子育てにも生まれ持った才能が必要だから、その才能が無い親にとって子育ては試練ともいえる。その中で子育てから脱落してしまう親も少なからず出てくる。

 

 今の核家族の流れを元に戻すことは不可能である。それが不可能なら、子育てができない親のための避難施設を作る必要がある。もし子供が宝だと国が考えるなら、老人を優遇するより子供を優遇するべきだろう。介護保険に掛けるお金と同額を子供を育てる環境づくりに使うべきである。

 

 将来、子供の虐待や殺人が減らないのなら、日本国内で生まれた子供は、すべて共同育児センターのような所で育てた方が子供の命の尊厳という意味で正しいと思われる。

 子供を愛する親にとって上の意見は到底受け入れられないと思うが、まだ人生が始まったばかりなのに親の意思によって人生を終わらせる子供たちのことを考えるとそれもありではないかと思う。