晴れ、気温マイナス17度。
厳しい寒さが続くが、これがピークである。もう半年も経てば夏がやって来る。この寒さは、夏の暑さのお知らせである。
引用 北海道新聞(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/516469.html)
JR北海道は21日、レール検査データ改ざんの社内調査結果について、全道の44保線部署のうち33部署で改ざんが行われ、計129人が関与していたと発表した。このうち2人を懲戒解雇、3人を諭旨解雇とし、野島誠社長ら経営陣の役員報酬を減額するなど計75人を処分した。改ざんを行った部署はこれまでの調査で判明していた9部署から大幅に増え、組織全体に広がっていたことが浮き彫りになった。
この物語には始まりが有ったはずである。その最初に改ざんを始めた本人は、今JR北海道の状況をどう見ているだろう。自分があるいは自分たちが始めたつじつま合わせが、会社そのものの存続を危ぶませるとは思ってもみなかっただろう。
更に仲間たちに、自分たちが始めた行為を真似するように仕向けたのは、その本人たちだったのか、それとも皆それぞれ同じことを考えていたのだろうか?
きっと今、その当時の社員に聞き取りを行ったとしても、誰かがやっていたのを真似したという答えしか返ってこないだろう。ほんの些細な事と思っていた1、2か所の改ざんが、やがて大きくなり多くの箇所を改ざんすることになった。それが日常になり、点検していないものを点検したようにすることが当たり前になり、更にそうすることが仕事を割り当てる会社の姿勢に反発する態度を示すことだったのだろう。少しの反抗がやがて大きなうねりとなって現れ、今のJR北海道がある。
会社が出来て27年だが、もしかすると国鉄時代からそれは行われていたのかもしれない。しかし、それが最初から常態化してはいなかった筈である。多くの国鉄職員は、安全に乗客を運ぶことを使命と考え生きがいを持っていたに違いない。
自分がまだ小さい頃、国鉄はよくストライキを行っていた。その闘争の方法の一つにサポタージュというものがあった。これは、労働者が雇用者に対して自分たちの権利を認めさせるためにわざと困らせることを行い、自分たちの意見を通そうとする行為であった。
その当時、国鉄の親分は国であり、国鉄職員は公務員であった。まさしく親方日の丸で、赤字は国が補てんしてくれるし、業績が悪くとも給与は上がる。労働改善という名の元、公務員に禁じれていたストを行う事が年中行事と化していた。
労働者が劣悪な労働環境を改善するため、ストライキを行う事は認められるだろう。しかし、赤字を垂れ流しながら更に自分たちの待遇改善を要求できた時代でもあった。今では考えられないことではある。
しかし、その赤字解消のために国は、国鉄を民営化することに決めた際も大がかりなストがあった。ストで列車が遅れることはその頃当たり前であったが、それは、自分たちの使命を失った行為の始まりだった。
ストライキは、自分たち労働者の権利だった。しかし、その事で国鉄マンとしての誇りを失い、国に反発するためにサボることが常態化した国鉄が、民営化してJR北海道になったからと言って、その風習が全て改善されたかというとそうでは無い。
JRの中で自分たちの扱いが悪ければ、それに反発して仕事をさぼることに抵抗が少ないのは想像がつくし、容易にそちらの方向へ流れるようになっただろう。更に国鉄時代を経験していない職員も、上司がそういう事を行えば簡単にまねをすることは当然だろう。反発してもしょうがないし、命じられるままが絶対だったからである。
そういった組織風土を変えることは至難の業である。もう既に芯まで腐ったてしまったリンゴの悪いところまで取り除けば、皮と身の一部しか残らない。それは既にリンゴでは無い。
本来なら、JR北海道は解体されるべきである。悪い部分を取り除くことが出来れば回復は早い。腐った部分を正常化することは魔法を使うしかないだろう。その魔法を持ち合わせている人はいるのか?それが最後の生き残る道だろうと思う。