国民の権利

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 引用 河北新聞(http://www.kahoku.co.jp/news/2014/01/20140121t11021.htm

東京電力福島第1原発事故で発生した宮城県内の指定廃棄物をめぐり、最終処分場の候補地に挙がった栗原、大和、加美の3市町では20日、首長や住民から不満や困惑の声が上がった。国は慎重に選定手続きを進めてきたが、地元には「寝耳に水」と映った。

 この問題、民主主義とは何かという不快根源に係る問題である。

 きっと住民の考えは、原発があった福島へ戻せと言う事なのだろう。廃棄物をもたらした元はそこにあったからである。

 果たして、それが国民としての考え方を問う設問なのだとも思う。この問いに対して果たしてどういった答えを得ることができるのか、民主主義とは何かということだろう。

 その現場から遠く離れた所に住む人間にとっても、もしそういった事態が起きた時にどのように対処したら良いのか考えなければならない時が来るかもしれない。

 沖縄の辺野古の米軍基地も同じである。

 どちらも国としての行動が、住民の同意が無くて行えるのか、国とはいったいどういったものなのか、その国を作る国民はどういったものなのか、まず考える必要がある。

 国の政策に於いて、国民の権利はどこまで認められ、その政策を拒否できるのか、そのレベルは?

 ある国では、国家権力がまず先に有り、住民の権利よりもそれを優先する。その権力構造により支配階級が物事を決めそれを翻すことは無い。

 民主主義国家では、国の方針は、選挙で選ばれた代議員がその政策を決定する。その意思は、選挙で決定することになっている。

 今回のように、地元住民と選挙で選ばれた代議員の意思決定の中で決まった政策にどの程度反対を貫けるのか、きちっと考えて行く必要がある。