立春

 晴れ、気温はマイナス17度。少し風が有るので、外に10分程度いただけで頭が寒さで痛くなる。1時間も薄着で居たら凍死してしまうレベルである。

 暦の上では、立春を過ぎたのであるが、そもそも立春は、旧暦の24節季の一つの節目に成る言葉で、これから春分の日までの間、徐々に春が近づくことになる。沖縄、九州、四国の温暖なところは、この言葉通り3月の春分の日までに春が足音を立てて近づいてくる季節でもある。

 残念ながら北海道の春は、4月に成らないと近づいてこない。雪も5月の連休辺りまで残ることがあるのだから今の時期に春の訪れを感じないのも致し方ない。

 冬が来れば必ず次に春が訪れそしてまた冬がやって来る。季節があるから一年を感じ、年老いて行くことをまた知る。年間を通して温暖な気候だと、季節の変わり目を知らず、年が過ぎて行くことも知らずに生きて行くことになる。そうなれば当然、わびさびの文化も生まれない。こういった季節の移り変わりが日本の文化を生み。そして、日本人気質を生み出すのだろう。

 一人一人が個性的であろうとも、日本人が集団で集まればそれだけで個性が生まれてくる。それが日本人的物の考え方となって世界が認識する。

 その感覚は、大陸にある中国や韓国には理解できないことだろうし、日本人が真に中国人や韓国人を理解できない原因の一つなのだろう。

 

 ただ、それも一つの物の見方に過ぎず、日本人それぞれ個々に個性を持ち、バラバラにすると色々な考えを持つ人がいるのは確かで、その個人の考え方は違うのであるから面白い。ただ集団となるとある一定の方向を持つ。集団的思想と個人思想は異なるのである。

 立春は、本来季節の通過点であり、そこから何かがはっきり目に判るように劇的に変化するものでもない。曖昧な明暗が黒から白に変わる灰色の部分のどこかに位置しているに過ぎない。

 ある意味日本の思想に通じるグレーの部分に共通点を見いだせるのが面白いと思う。