老い

 雨、今はそれ程大降りでは無くぽつぽつである。気温も12度と左程低くない。

 最近、人の振る舞いに腹を立てることが多くなってきた気がする。最近腹を立てたのは、横断歩道を渡る人がいるのにもかかわらず、横断歩道の真ん中に自転車を止めてスマホを見ている若者である。

 周囲を見ないその無神経な態度に腹を立てたのである。文句の一つも言ってやりたかったが、それを堪えて通り過ぎる自分にも腹が立つ。

 昔なら、そんなの気にする方がおかしいくらいのものだったが、徐々にそういった事にいら立つ自分がいることを感じる。

 昔、自分が若い頃、何にでも腹を立てる年寄りを可笑しがって見ていたのが、年を取ると徐々にそれに近づいている自分がいる。

 もしこのまま長生きすれば、何にでも腹を立て、モノに八つ当たりする自分の姿を思い浮かべると悲しくなりそうである。ただ、その時は、そういった事に対して悲しいとかいった感情を失っているのかもしれない。そういう意味で老化の意味というのが自制心というタガを外してしまうという事に成るのだろう。

 そういった老化について自分で自覚することの一つに立ち上がる時に一声、声が出ることである。それは、同じ姿勢でいるため筋肉や関節が固くなり、掛け声を掛けないと始動させることが出来なくなってきてしまったのである。

 

 立ち上がる都度に、『ヨイショ』と掛け声を出している若者はいない。やはり掛け声を出している人の殆どは、老人であるし、その掛け声を出して回りに聞かれても恥ずかしいという思いが失われてしまった証拠である。

 もし、立ち上がる時に自然と声が出ている人はそろそろ老人と呼ばれる人になっているのは間違いない。

 自然と老いるにつれてそういった症状が自然と現れてくる。年齢より若く見える人たちは、そういった症状が表に出てこない人である。それは年齢といった物差しで測れることでは無く、やはり、それとは関係ない所にある。そういった事を如何に維持していくかで、人より若く見られるのだろう。

 本当に、いくら若く見せようと思っても、髪は抜けて行くし、関節は痛くなるしで、それをカバーするのは大変な事である。