やる気が出ない時

 晴れ、気温はマイナス13度。

 3月は年度末ということで、慌ただしい。こういう忙しさは、緩んだ気持ちをかえって緩ませる。それは、拒絶反応というか、まだ、締め切りに何日あるというその時間だけをあてにして先送りしてしまうからである。本当に面倒くさいという限りである。ただ、そう心に思いながらもやはり自分の歯車の一員であるのは間違いなく、その流れに身を委ね、いやいやでもやらざる負えないのである。

 人間のやる気と言うのは本当に大事な活動のエネルギーとなる。それは、エンジンの始動時に必要なディストリビューターのようなものである。これが無ければエンジンはかからない。他にも多くのエンジン始動に必要な部品やガソリン、オイルなどがあるのだが、やる気というのはディストリビューターがエンジンにそうするように、心を燃え上がらせるためにタイミングを選んで加えないと効果が薄いものである。

 小さい頃、親から四六時中時を選ばず宿題をやれやれと言われやる気が却って失せた記憶があるだろう。それと同じで、周りからうるさく言っても本人の心に響かなければただの雑音であり、却って意欲を減退させるものである。タイミングの良い掛け声は、力を引き出す糧に成る。

 というようにやる気を出させるタイミングが必要と書いたが、もう一つ大切なものは、本人が持つエネルギーの充てん量だろう。余りに蓄えが少なくては途中で燃え尽きてしまう。やはりこれも日頃から蓄えたエネルギー量が必要だし、ある程度ならしておくことでその蓄えられる量も増えてくる。

 自分にやる気を起こさせるには、適切なタイミングでの声掛けと、日頃から体をそれに慣らせるようにした適切な仕事量が必要なのである。

 日本昔話に3年寝太郎という話があるが、あれは例えとしては良いのかもしれないが、現実世界で3年寝て過ごしていては情報量の差で置いてきぼりを食らうだろう。

 3年寝て過ごすのではなく、その間、色い色な充電と呼ばれる社会生活をきちんと送って、3年後にその成果を発揮するというのが正しい物語の一つであると思う。そうでなければ、3年寝たきりだと体の筋肉は衰え、体に褥瘡が出来てしまう。

 話はそれたが、適切なタイミングでやる気を引き出すために、自分の周囲にそういった人たちが存在している人は、環境に恵まれている。そういった適切なアドバイスをくれる上司、同僚を求めるには、やはり自分がその役割を担わなければならないのは言うまでもない。