運命

 曇り、気温も15度。今日は一日中曇り空で気温も低めで推移するらしい。何時もの北海道に戻ったということである。

引用 朝日新聞http://www.asahi.com/articles/ASG656KBNG65UHBI02J.html) 

ナイジェリア北東部ボルノ州で、四つの村が武装集団に襲われ、200人以上の住民が死亡したとの情報がある。AFP通信などが5日、伝えた。4月に同州で200人以上の女子生徒を誘拐したイスラム武装勢力ボコ・ハラムの関与が疑われている。

 同じ地球上に人間として生まれ、人生を全うできる人がいると同時に、いわれもない理由で命を失う。そこに何か境界があるのだろうかといつも考えてしまう。

 生まれた時、場所が悪かったとしか言いようのない出来事だったとしても、自分と同じようにモノを見、考え、そして家族がいたはずである。もし、自分がナイジェリアにいたとしたら同じように突然命を奪われた可能性があるのである。それは想像すると同時に心に痛みが走る。

 同じ天の下に生まれた人間は、何を持って人を殺めるのか、自分の思想の正しさを証明するため、もしくは自分の欲望を満足させるため、そこに相手の心情を理解することは決してないのだろう。

 この様な事は、日本にいるから直ぐには実感できないだけで、色々なところで起きている事のなだが、まさしく日本に住んでいれば空想の話に近い実感しかわかない。それが平和ボケともいうのだろう。

 人は天の下に於いて平等と言うけれど、一端地上に生を受けた後は、偶然という運命に弄ばれる。幾ら逃れようとしてもそこにある危険は、いつの間にか忍び寄る。

 そういった事が無い世界が有ったとしたら、どれだけの人がこの世で生活し、歴史はどれだけ変わっただろう。